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3.2.1 北方民族の動向 世界史の教科書を最初から最後まで

1世紀匈半ば(今から1950年ほど前)になると、すでに東西に分裂していた遊牧国家匈奴(きょうど;ションヌー)はさらに南北に分裂。

南匈奴の中には中国の農耕エリアに移住する者も増えるよ。

また、匈奴から分かれた(けつ;ジエ)、中国東北方面の鮮卑(せんぴ;シエンベイ)、西方のチベット系遊牧民の(てい;ディー)・(きょう;チァン)を含めた「五胡」と呼ばれる勢力が、こぞって中国に侵入するようになった。

彼らはもともと戦いの腕を買われ後漢などの王朝で傭兵として雇われていたんだけれど、後漢が滅んで中国が分裂すると、そこにつけ込み、農耕エリアで「中国の皇帝」を称して国をボコボコ建国するようになったんだ。


いわば「東アジアの“ゲルマン人大移動”」だね。

農耕民は戦闘力では騎馬遊牧民にかなうはずもなく、黄河流域には遊牧民の国家がおこっては滅ぶ戦乱の世に突入した。

戦を避けた漢人たちは、長江下流域に「難民」として押し寄せることに。


しかし、大混乱の裏には、新しい時代への息吹も芽生えていた。

黄河流域の王朝は、伝統的な漢人の文化に遊牧民的な要素をプラスし、これまでにない数々の文化を生み出した。


一方、長江下流域では「漢人の伝統」を守るべく文化がいっそう洗練されたほか、急増した人口に応えるべく堤防や水路が整備され耕地が拡大する。

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長江下流域における農業開発のことを、一般に「江南(こうなん)の開発」と呼ぶよ。
現在でも経済的にノリに乗っている都市って、「中華」の発祥地である黄河流域よりも、現在でも「上海」や「杭州」など南部に多いよね



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