2.3.2 中国文明の発生 世界史の教科書を最初から最後まで
前6000年頃(今から8000年ほど前)までに、黄河の流域で農耕が始まった。
栽培していたのはアワやキビなどの雑穀だ。
一方、長江流域でも1万年ほど前には、すでに稲の栽培が始まり、黄河流域とは別の文化を持つ民族が生活していた。
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黄河流域では前5000〜前4000年頃に気候が温暖化。農業の技術が発展して、数百人規模の集落が生まれた。
黄河の中流域の広い範囲では、同じような模様を持つ「彩文土器(彩陶)」を製作。これを使用した神様に対する儀式によって、仲間意識を育てていった。この文化を出土地の名前から仰韶(ぎょうしょう、ヤンシャオ)文化という。
長江の中・下流域でも、河姆渡(かぼと)遺跡や良渚(りょうしょ)遺跡にのように、人口的な水田が整備された集落が現れている。
黄河流域がどのような環境か、次の解説を読んでみよう。
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前3000〜前2000年頃(今から4000〜5000年前ほど)には、黄河と長江の人々の交流は活発化。その証拠に、黄河の下流域を中心に同じ製法で作られた黒い陶器が、長江中・下流域から、朝鮮半島の手前(遼東半島)に至る広範囲で出土している。この新しいタイプの黒陶は、製作により高い火力が必要で、出土地の名前から竜山(りゅうざん、ロンシャン)文化と呼ばれる。
広い中国では黄河流域、長江下流域のほかにも、各地で特色ある文化をもつグループが発展していった。
かつて言われていたような「中国の文明は黄河文明から発展した」という説は、正しくはないんだよ。
一方、交易の発展にともない民族間の争いも増加。遺跡の中には戦争で犠牲になった人々のお墓や大量の武器も見つかるようになっていく。
多くの人の労働力で土を固めて作った城壁や、支配層の巨大なお墓も見られるようになり、しだいに一部の支配層が権力を集めていったことがわかるよ。
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