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13.3.6 東南アジアにおける民族運動の形成 世界史の教科書を最初から最後まで

東南アジアの地域は、タイをのぞくすべてのエリアが植民地の支配下にあった。
いずれのエリアでも、植民地支配に抵抗する運動がみられたけれども、その多くは弾圧され挫折していった。しかしその芽は次世代へと着実に受け継がれていくことになる。
それぞれの地域についてみていこう。


インドネシア


オランダでは、衰え続けるインドネシアの社会状況を見て「このまま厳しい支配を続けていては、さすがにまずいのではないか」という世論が生まれていった。

強制的に商品になる作物を栽培させようとする制度を廃止させるなど、植民地政策をすぐにでも根本的に見直すべきだというムードになったんだ。

その結果、20世紀初めには「倫理政策」(りんりせいさく)と呼ばれる政策がはじまる。


これは、インドネシアに対する厳しい支配をやめ、キリスト教を布教して住民の暮らしの質を高めるとともに、現地のエリートに対して権力を預けるもの。
その一環で、現地人を役人にとりたてるための学校も設立されることになった。
役人になったのは、貴族の子弟がほとんど。


学校ではインドネシア各地の言葉ではなく、オランダ語の教育や専門教育がほどこされた。
しかし、オランダ語が読めるようになった彼らは、ヨーロッパの最先端の思想にもアクセスできるようになる。
すると、それらの教育をうけたに子弟のあいだには、「自分たちだって、インドネシア人なんだ」「インドネシア人としての自覚を持たなければ、いつかみんな“オランダ人”みたいになってしまう」という自覚や危機感が芽生え始めたのだ。


そんな中、1911年にはインドネシア人としての民族のまとまりを強調するグループがうまれ、翌1912年に「サレカット=イスラム」(イスラム同盟)となった。
このグループは、初期はたがいにさまざまなことを助け合うのが目的だったのだが、やがて活動は政治的に。



1918〜20年に民族運動がもりあがると、その中心となってオランダからの独立や社会主義の実現に向かって活動した。
しかし結局、オランダの植民地政府が弾圧。
組織は崩壊してしまう。



フィリピン



16世紀以来、現在のフィリピンの大部分は、スペインの植民地として支配されていた。

この時期になるとスペインに留学して大学に通っていた新しい世代のフィリピン出身者が、やはりスペインの支配を批判する運動をスタートした。
1880年代には、スペインの大学に留学したホセ=リサール(1861〜96年)が、ヨーロッパ式の「小説」の形でスペインの植民地支配を批判。タイトルは『われにふれるな』だ。


帰国してからも、情報発信や政治行動を続けたけれど、結局当局につかまって処刑されてしまう。批判するのも命がけだったのだ。


そんな中、1896年にスペインからの独立をめざすフィリピン革命が始まる。
そこに介入したのは、太平洋を越えてアジアへのビジネス進出をめざすアメリカ合衆国だ。

指導者のアギナルド(1869〜1964年)を中心とする革命軍は、日本の活動家(宮崎滔天(みやざきとうてん))に武器の援助を求めるも、日本政府の難色や事故により頓挫。



なんとか「フィリピン共和国」の成立にこぎつけたけれど、アメリカの野望は「スペインを追い出した後、代わってフィリピンを支配すること」。



1898年にはじまったアメリカ=スペイン戦争で、スペインをカリブ海や太平洋のグアムとフィリピンから追放すると、こんどは出来立てホヤホヤの「フィリピン共和国」に侵攻。
フィリピン=アメリカ戦争が勃発した(1899年)。


この “手のひら返し”を受け、フィリピン共和国は敗北。


アメリカ合衆国は1902年から本格的にフィリピンを植民地化する。
これに対し、その後も南部を中心にイスラーム教徒などは抵抗運動を続けた。



ベトナム


ベトナムは阮朝が支配していたものの、フランスによる相次ぐ敗北により、フランスの保護国となってしまった。

そんな中、ファン=ボイ=チャウ(1867〜1940年)を中心に、フランスから独立し、憲法をつくって強い君主政の国づくりをしようという運動が1904年に組織された。

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のちに「維新会」と呼ばれる彼のグループは、その名の通り日本の「明治維新」をお手本にしようとし、日本から軍事的なサポートを得ようとしたり、日本に留学生を送ったりした。後者を「ドンズー(東遊)運動」という。


しかし、フランス側に接近していた日本は、取締りを強化。

ファン=ボイ=チャウも日本で公然と活動することが難しくなり、

運動は中国で国民党の助けを得ながら続けられることになった。これが1912年に広東(かんとん)で組織されたベトナム光復会(こうふくかい)だ。

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