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6.1.1 トルコ系民族の進出とソグド人 世界史の教科書を最初から最後まで

ユーラシア大陸の中央部を結ぶ東西ルートには、インド系・イラン系の言葉を話す人々がはばひろく分布している。

この2つはざっくり「インド=ヨーロッパ語族」という“言葉の家族”に属する言語で、たがいに似ている点も多い。


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現在のインド系の言葉の分布

)赤色はヒンディー語やパンジャーブ語などの中央グループ、青色はカシミール語などの北西グループ、紫はネパール語などの北部グループ、黄色はベンガル語などの東部グループ、水色はマラーティー語などの南部グループ。




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現在のイラン系の言語の分布

)ざっくり言うと、左側の赤色はクルド語、中央の緑色がペルシア語、右下の赤色はバローチー語、その上がパシュトー語。


トルコ人の国 その① 突厥(とっけつ)

そんな、インド系・イラン系の言語世界に、6世紀になるとトルコ系の人々の勢力が参入。



その代表格は突厥(とっけつ)という騎馬遊牧民だった。



彼らは騎馬遊牧民たちだけでなく、乾燥地帯の水場におこった商業都市も支配下に入れ、遊牧民・農耕民・商業民たちを結びつけた。


トルコ人の国 その② ウイグル


8世紀になるとモンゴル高原に、別のトルコ系であるウイグル人が進出。



イラン系のソグド人と協力関係を築き、遊牧民・農耕民・商業民を包み込む巨大な国(遊牧国家)をつくりあげたよ。


このソグド人は、もともとはアム川上流のブハラやサマルカンドに住むイラン系の民族。
騎馬遊牧民の後ろ盾を得ることで、ユーラシア大陸の広い範囲に“支部”をもうけることができ、ユーラシア大陸東西を結ぶ網の目のような交易ネットワークを実現した。
ソグド人は、中国人のつくった生糸や絹を、「オアシスの道」を経由して西に運んだ。
代表的な商品が生糸や絹だったことから、のちのち「絹の道」(シルクロード)と呼ばれるようになった。



東西を行き交ったのは物や人だけではない。
宗教・文化といったさまざまな情報も行き交った。
たとえばイラン生まれのマニ教や、インド生まれの仏教、パレスチナ生まれのキリスト教(ネストリウス派キリスト教)は、遠く中国やモンゴル高原にまで広がっていく。


またソグド人は、西アジアのアラム人が生み出した文字を参考にソグド文字を使用していた。これをウイグル人がまねたのがウイグル人で、のちにモンゴル人のモンゴル文字や、女真人の満洲文字にも発展していく。


しかし840年になると、ウイグル人は同じくトルコ系のキルギス人

の攻撃によって滅び、住民は散り散りになった。



その一部は西に逃げ、天山山脈の東部に移住。ここに「西ウイグル王国」を建国した。



しかし、ウイグル人の進出にともない、先に天山山脈の西部に進出していた別のトルコ系のグループは、さらに西に向かうことに。

その結果、「トルコ人」はイスラーム教を信仰するようになるんだったね。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊