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13.1.1 第二次産業革命と帝国主義の成立 世界史の教科書を最初から最後まで

産業革命を達成したイギリスの後を追い、ヨーロッパ大陸諸国やアメリカ合衆国でも、国が主導する形で工業化が推進されていった。



なかでも短期間でのしあがっていったのが、アメリカ合衆国とドイツ帝国だ。

19世紀に後半になると、近代科学の成果を生かした工業部門や新テクノロジーを発展させ、世界を先導するようになる。



最初の産業革命が、石炭蒸気力を動力源に、工業や製鉄業の分野でおこったのに対し、19世紀後半の新しい工業やテクノロジーは石油電力をエネルギーに使い、重化学工業・電気工業・アルミニウムなどの非鉄金属部門を発展させた。
最初の産業革命に対し、第二次産業革命と呼ぶよ。


これらの新しい工業部門の工場を建設するには、目玉が飛び出るくらい巨額の資本が必要だ。


資本を調達する銀行と結びついた少数の巨大企業が、市場(しじょう)を支配する傾向がみられた。
急速な工業化は工業労働者の数を増大させ、都市化をすすめる一方、農業や中小企業を圧迫して、人々の生活基盤や環境を激変させた。




工業化によって伝統的経済基盤を破壊された多くの人々は、移民となって国を離れざるを得なくなる。
その流れの中で、19世紀後半からはヨーロッパ大陸からアメリカ合衆国への移民が急増していったんだ。

風刺画「同化のすり鉢」
「平等な権利」と銘打たれたスプーンで女性に扮したアメリカが移民を同化しようとしている。それに対して一人がナイフを手に抵抗している。



主要国の資本主義が発展し、相互の競合が激しくなると、将来の発展のために資源を供給する場所や輸出するマーケットとして、植民地の重要性が見直されるようになる。
自分の国が発展するために、植民地を犠牲するのは仕方がないというわけだ。

1873年に始まった大不況や経済停滞のつづいた1870年代以降には、本国と植民地となっていないエリアを横取りしようとする動きが高まった。


この背後には、ダーウィンの進化論の論理が「人類の社会」に誤った形で適用され、

ヨーロッパ諸国にヨーロッパ近代文明が「優れている」という意識と、ヨーロッパではないエリアの文化は「劣っている」という意識が広まっていたことも大きい。


こうして1880年代以降、アメリカ合衆国・ヨーロッパ諸国の強国はアジア・アフリカに殺到し、暴力的な方法で植民地や勢力圏を建設するようになった。



この動きを帝国主義(インペリアニズム)というよ。



帝国主義時代には、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国の強国(列強諸国)の格差も拡大。
工業力や資本力のあるイギリス・フランス・ドイツの列強がトップに立ったのに対し、多民族国家として激しい民族運動に直面したロシア・オーストリア、独立後も南北格差が大きく工業化がおくれていたイタリアは下のランクに位置づけられることとなった。


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