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14.1.6 ソヴィエト政権と戦時共産主義 世界史の教科書を最初から最後まで

兵士と労働者階級の意思を代表する「ソヴィエト」は、十月革命(十一月革命)によって、ロシアの政治権力を臨時政府から奪うことに成功。


レーニンは、ドイツのマルクスの理論を、当時の世界情勢とロシアの状況に適用(マルクス=レーニン主義)。


「社会主義」をかかげ、国家権力を奪うことに成功した、史上初めての例だ。

この革命を主導したグループ「ボリシェヴィキ」に、兵士たちが協力したのは、ボリシェヴィキが「政権をとったら戦争を停止する」と約束していたからだ。

実際にソヴィエト政権は、1918年3月にブレスト=リトフスクというところで、ドイツ側と講和条約を結んだ。
これをブレスト=リトフスク条約という。

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エストニアやラトビアからウクライナ(当時ロシアからの独立を宣言していた)までの広大なエリアを、同盟国側に切り分ける、かなり不利な条件での講話だった。

これに対しては批判も多く出たのだけれど、その一方でボリシェヴィキは、敵対するほかの政治的グループを政治権力から締め出そうと画策。
憲法を制定するための会議を武力で封鎖し、「労働者階級を代表するソヴィエトが国家権力の基盤だ」とする体制に移行。国の目標に明確に「社会主義」をかかげた。

これによって、自由主義的な政党や、“生ぬるい”と判断された社会主義の政党は政治権力から締め出されることに。

ボリシェヴィキは「共産党」と名前がかえられ、首都もペトログラードからモスクワに移された。


1918年後半になると、モスクワの政権は事実上ボリシェヴィキの一党だけの支配となり、ボリシェヴィキの率いる 労働者階級の代表であるソヴィエトこそが、「あたらしい社会」を建設していくにふさわしいとされていった。

それと並行して、各地の地主の土地はなんの補償もなく没収され、農民に分配されることに。
また、工業、銀行、貿易も国家による管理下に置かれることとなった。
「管理下」に置かれることになっただけで、企業が“なくなってしまった”わけじゃないことには注意しよう。



国内における権力の集中に成功したレーニンは「ロシアで今後社会主義が成功するためには、すでに資本主義が発展している国(イギリスとかフランスとか)で革命がおきることが何より大切だ」と考えていた

そのような考えから、1919年3月に、モスクワでコミンテルン共産主義インターナショナル)という組織がつくられた。
1864年の第一インターナショナル、1889年の第二インターナショナルに続く「国際的な労働者の団結」をめざす組織であることから、「第3インターナショナル」とも呼ばれる。


ひとつひとつの国で労働者が反発しても、弱い。
でも、世界中で同時に反発したら、資本主義は吹っ飛ぶはずだ。


世界同時革命を目指したレーニンやトロツキーは、ロシア国外の革命、たとえばハンガリーやドイツでおこった革命の成功を期待した。


しかし、いずれも失敗。
「社会主義者」の中からは、「ロシアのソヴィエト政権による国家主導の社会主義は、本当の社会主義じゃない」という批判も起こっていた。


アジアの民族運動への支援も、中国では理解者が得られたものの、ほかの地域ではあんまりパッとしない。
「世界同時革命」の夢は遠かった。



ただ、“労働者階級の代表”という“設定”の「ソヴィエト」が政権を担い、国家を運営するという「ソヴィエト=ロシア」のプロジェクトは、それまで「資本主義」一辺倒でやってきたヨーロッパの強国やアメリカ合衆国の“成功モデル”に対し、衝撃的なジャブを浴びせることに。

資本主義のいきすぎや“バグ”を修正する上でも、ソヴィエト=ロシアの国家運営は、世界のさまざまな立場の人々に、大きなヒントを与えた点で意義はある。



しかしながら、ソヴィエト=ロシアが成立した後、旧・ロシア帝国内部の人々が、すぐさま新政権のいうことを聞いたわけではない。

ロシア帝国の支配層だった人々やボリシェヴィキの強引な手法に反対する動きは絶えず、各地に「革命に反対する政権」(反革命政権)が樹立されたのだ。

資本主義をかかげるヨーロッパの強国やアメリカ合衆国、それに日本は、当然「革命に反対する政権」をサポート。
出来立てホヤホヤのソヴィエト=ロシアを “よちよち歩き”のうちにつぶしておこうと、協商国は対ソ干渉戦争(ロシアのソヴィエト政権に干渉するための戦勝、1918〜1922年)に乗り出した。
ロシアの内戦に、大国が干渉したわけだ。


なお、このとき日本からも軍隊が出動。
いわゆる「シベリア出兵」だ。
全国的な騒ぎである「米騒動」の発端となったことでも知られるね。



ソヴィエト=ロシア政府は対抗するために「赤軍」を組織。
チェカ(非常委員会。のちのインテリジェンス機関KGB)を設置して、

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革命に反対する「白軍」(反ソヴィエト派が組織した軍)の動きを厳しく取り締まった。



協商国の干渉に備えるため、政府は農民から穀物を強制的にとりあげ、それを都市の住民や兵士に配給する厳しい経済統制を実行。
あらゆる企業が国有化され、外国との貿易も国が独占した(私企業は禁止)。



これを戦時共産主義というよ。



こうした強引な政策も手伝って、1920年には国内の反革命政権はほぼ制圧。
ソヴィエト政権は、外国勢力の干渉に持ちこたえることができたんだ。

しかし、ボリシェヴィキの革命の重要な協力者だった海軍の水兵が反乱を起こすなど、強引な経済のコントロールには批判も高まっていった。


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