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16.1.4 通商の自由化と地域統合の進展 世界史の教科書を最初から最後まで

自由な取引を拡大させる動き(現代のグローバリゼーション)

第二次世界大戦後のアメリカ合衆国は、自国のことを優先する経済(ブロック経済)が対立を生み出したのだという発想から、「自由な取引」を世界中で可能にする姿勢を一貫して打ち出していった。

1947年に、関税や輸出入の規制といった貿易上のバリアを排除し、自由で無差別な国際貿易を進めていこうとする「GATT(ガット)」がアメリカ陣営の間で取り決められた。

GATTの取り決めは、取り決めに参加した国の参加する国際会議において「より自由な貿易制度」をつくるために何度も改定されていった。

その結果、1980年代までには、ほとんどの輸入関税が引き下げられ「貿易の自由化」が進んでいったのだが、サービス部門や知的所有権の障壁を取り除くには至らなかった。1986年9月から南アメリカ大陸のウルグアイに124か国が集まっておこなった交渉も暗礁に乗り上げる(ウルグアイ=ラウンド)。
しかし、1994年になって交渉が妥結、WTO(世界貿易機関)が誕生。WTOには取り決めを違反した国に対する制裁や、問題の仲裁にあたる機能が与えられることになった。
農産物や金融商品、知的所有権、サービス取引の自由化も進められていき、「自由な取引」ができる場が、世界の隅々にまで広がることとなったのだ。


EC諸国も1985年12月に単一欧州議定書に調印して、商品以外の人(労働力)の移動や金融取引の域内自由化にも踏み込むことに。1993年11月にはマーストリヒト条約が発効し、これまで積み上げられてきた統合の動きを「3つの柱」に束ね、さらに外交・行政・立法・司法も含むより強い「まとまり」を目指すEUヨーロッパ連合)に発展していった。



1999年には決済通貨としてユーロが導入されて、2002年からは一般市民も使えるようになった。


EUの加盟国は2000年代には東ヨーロッパにも一気に拡大していったのだが、経済格差が目立つようになり、2009年にはギリシア危機を始め、財政の状況が危険なレベルにある国を、EUがどのように支援するかをめぐって大きな対立が起きた。


2010年代に入ると、各国の人々から「自分たちの決定権が、フランスやドイツなどの一部の国々のエリート官僚に握られている」「移民に仕事を奪われている」というEUへの反発(欧州懐疑主義)がさらに強まった。
2020年1月には、イギリスがEUを離脱するところまで行き着いている。

世界各地で進む地域統合

アメリカは西ヨーロッパがEUとしてまとめる動きを「経済のブロック化」であると警戒し、1993年にカナダとメキシコとともにNAFTA(ナフタ、北米自由貿易協定)が調印された(発効は1994年)。


しかしアメリカでも、特に〈トランプ〉政権発足後はヨーロッパと同じように2010年代以降は「自国優先」の動きを強め、2018年には新しい取り決め(USMA、新NAFTA)が成立した。その内容はアメリカの産業を保護する色が強く、もはや「自由貿易」といえるような代物ではなくなっている。



アジア・太平洋を取り囲むエリアでも、1989年APEC(エーペック、アジア太平洋協力)という枠組みが発足。エリア内の自由貿易をめざす動きが進んだものの、近年は二国間の自由貿易協定や異なる枠組みが進行し、こちらもやはり停滞している。

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たとえばアメリカ合衆国は、中国との対決の必要性から、環太平洋経済連携協定(TPP)を推進し、太平洋をとりかこむ地域で、経済を自由化させようと試みた。しかし〈トランプ〉政権は2016年にTPPからの離脱を表明。国内の工場労働者は自由貿易への反発が強く、その支持を取り付けるためだといわれている。


一方、中華人民共和国はユーラシア大陸全域をスケールとした新たな経済圏の建設を唱え、2014年にはアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立するとともに、特に発展途上国や新興国の政府との政治・経済関係を密にしている。
中国政府は、自国の政治・経済体制を守るため、他国に対し「これだけは譲ることはできない」という利益のことを「核心的利益」と呼び、その実現のために中央アジアへの影響力の拡大や南シナ海を含む太平洋やインド洋への海洋進出を進めている。
アジアインフラ投資銀行には多くの新興国が参加し、ヨーロッパからもドイツ、イギリス、フランス、イタリアなどが参加しているが、日本とアメリカ合衆国は参加を見送っている状態だ。


経済が自由化されて、商品や資本が自由に国境を超えるようになると、有形無形の人と人とのつながりや基盤は変化こうむる。新しい文化がよそから入ってきたり、従来の共同体が環境破壊や資本の論理でつぶされていく事態も起こりうる。
グローバル化を前に「どのような国づくりを進めるべきか」という議論は、東アジア・東南アジア各地でますます大きな政治上の争点となっている。


国境を越える経済活動の活発化は、感染症に対するリスクも増大させた。

2003年には重症急性呼吸器症候群(SARS、サーズ)という感染症が、中国を出発点としてヴェトナム、シンガポール、台湾など東アジア・東南アジア各地に拡大し、各国政府は国境を越えた連携の必要性を痛感した。
その後も、鳥インフルエンザや新型インフルエンザなどの感染症の国境を越えた拡大事例は続き、2019年12月に中国の武漢で初めて確認された新型コロナウイルス(COVID-19)は翌年にかけて大規模なパンデミックを引き起こした。
国内では大規模な財政出動による債務が膨らみ、国外における一帯一路戦略に対しても影響は必至となっている。

なおアフリカでも、アフリカ統一機構(OAU)が、2000年に紛争の平和解決と経済統合をめざして域内連携を強化しアフリカ連合AU)に発展している。中国は2000年代以降、官民一体となってアフリカへのインフラ援助やビジネス進出をすすめ、アフリカ産出の資源を確保している。新型コロナウイルスのパンデミックにより、中国のアフリカ政策にもなんらかの変化が見られるだろう。


新興国の動き

このようにして冷戦終結後の世界は、経済的な利害を中心にして離合を模索する中で、「多元的な構造」となっていった。

その動きは2008年の世界経済危機に際して加速。

従来のG8(主要国首脳会議)以外の新興国が集まってG20(ジー・トゥエンティ)を開催し、経済問題について協議した。
これ以降、国際的な存在感を増し、もはや従来のように欧米と日本だけで世界経済を協議することが有効ではなくなっている。



G20を主導するBRICs諸国(ブリックス。ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ。南アフリカは加えない場合もある)の共通点は、領土が広大で資源が豊富、人口も多いこと。
このように、従来は「低開発」であった発展途上国が、21世紀初頭になると経済発展に成功するようになったのだ。


しかし、以前として「南側」の国々の中でも南南問題といわれる経済格差が問題となっている。
後発開発途上国や低所得国(LDCs、1人あたり国民純所得が825米ドル(2014年)以下の国)や、低中所得国(LMICs、826~3255米ドル)、高中所得国(UMICs、3256~10065米ドル)も依然として熱帯地域を中心に多く残り、世界の富の偏りは21世紀に入りますます拡大しているという議論がある。
年間所得3000米ドルを下回る最底辺層 (BOP層(Base of the Economic Pyramid)、ビーオーピー)は、試算によっては世界に40億人いるとされています。



一方、工業化の進展や農業生産性の向上などの面でアジアに遅れをとっているサハラ以南のアフリカ諸国(サブサハラ=アフリカ)には、2000年代以降は政治の安定、資源価格の高騰、民間消費の拡大を背景に経済成長への兆しもある。
南アフリカ企業を中心とする域内貿易も盛り上がっているが、農業生産性の低さが各国経済のネックとなっている。



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