全ては自分です

自分が笑顔でいるか?
自分が素敵な言葉を発してるか?
自分がハッピーになってるか?

以前これは話したことがある
自分の領域と他人の領域がある

自分の物は自分の物だからどうにでもなる
他人の物は自分の物出ないからどうにもならん

人間は常にここの切り替えがうまくいかないから悩む。

鏡に映った自分の顔の汚れを落とそうと鏡に映った自分の顔を拭いても落ちない。
自分の顔についた汚れを落とさないと落ちない

これを踏まえて

なぜ神社の御神体は鏡なのか?
ここからは私の見解です

私は神様があなたの御神体はあなたですよと映してる。我、己であると。

こちらから拝めは鏡に映った己にがこちらに向いて拝んでる。神様「天照大御神」が拝んでるんです。あなたの姿を借りて。

気は色んな所にありますが型【肉体】はあなたにしか無い。形のない神様【天照大御神】があなたの形を借りてこう拝んでるんです。

肉体を持ってるあなたにしか出来ないことがあるから宜しく頼みますよと…

鏡はどの家にもある
なんなら持って歩く事もできる

常に自分の御神体を携えて日々を過ごしてます。

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