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危機遺産ってなに?

「世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。」これは日本ユネスコ協会連盟のHPからの一文だ。

世界遺産が特定の国・地域に限定されたものでなく、地球規模で守っていくべき貴重な資産であることが読み取れる。しかし、物事は絶えず変化していくのもので、世界遺産も例に漏れずである。登録されれば未来永劫、そこにあり続けるという保証はどこにもない。

外務省勤務時代に、100カ国以上もの国を訪れ、仕事をしてきた経験を持つ、ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタント 高橋政司が、今話題のインバウンド用語をピックアップし、世界目線で詳しく、やさしく解説する本連載。

第15回では『危機遺産(World Heritage in Danger)』について取りあげる。世界目線チームの若手筆頭、ヒナタが素朴な疑問をぶつけてみた。


ーー危機遺産とはなんでしょうか

「現在、ユネスコに登録されている世界遺産の数は1,221となっています。その中で、世界遺産としての価値を守っていく上で、通常の保全の仕方では不十分なもの、自然災害や環境問題、戦争などの人的な問題も含めて、なんらかの外的な要因によって危機に瀕しているものを『危機遺産』といい、正式には『危機にさらされている世界遺産(World Heritage in Danger)』とされています。

しかし、自然災害など人間の力の及ばない事ばかりが原因とは限らないですよね。世界遺産の保全に努めるべきはずの国や地域の行政が、単にその責任を怠っていたり、放棄していることが原因となる場合もあるので、ペナルティとしての側面もあり、バイナリーなものなんです。

これらを危機遺産リスト』としてまとめ、国際社会の協力を仰ぎ、保全を強化していくんです。ここで『世界遺産基金(World Heritage Fund)』に財政支援の申請をすることも可能となります」


ーー環境問題や戦争などの人為的な原因についてはペナルティとしての側面が強いのでしょうか

「そうですね。しかし、申請した国だけの問題とも限らないですよね。例えば、2015年にグレート・バリア・リーフが危機遺産として登録されそうになりました。その責任の一端はオーストラリアにありますが、地球温暖化や生態系の変化といった点については地球規模の取り組みが必要なので、十把一絡げでオーストラリアの責任とも言えないんです。そこが難しいところです」
 

ーーどのように危機遺産から解除されるのでしょうか

「私が外務省時代にかかわったカンボジアの遺跡『アンコール・ワット』は1992年に世界遺産として登録されたましたが、同時に危機遺産にも登録されました。これは当時のカンボジアは内戦から復興して間も無く、世界遺産を守るために経済的・人的リソースを割く能力が無かったからです。

アンコール・ワットの場合は日本とフランスが共同議長となり、国際支援の座組みを作り、修復に臨みました。そこから12年もの支援ののち、2004年に解除され、晴れて通常の世界遺産となりました」

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ーー財政支援をする側にも何かしらメリットがあるのでしょうか

「もちろんあります。アンコール・ワットの所有者はカンボジアとなっていますが、World Heritage(世界の遺産)であるという点において、支援国にとっては国際社会への貢献になるんです。企業でいうところのCSR(社会的責任)活動だと捉えてください。

この経験によって、日本人の遺跡修復技術を向上させることできますし、ここで培われたノウハウは日本国内における文化財の保全・修復でも生かす事が可能です。

もう一つのメリットとして『援助協調』があります。例えばアンコール・ワットは日本とフランスのみならず、韓国、中国、ロシア、インドといったさまざまな国が参加した支援事業ですが、同じ目的を持つことで、参加国の間で連帯感が生まれてきます。事業を円滑に進めるためにも、役割分担が必要となり、そこでコミュニケーションをとることになるからです」


ーー修復中の世界遺産を訪れることは可能なのでしょうか

「はい、例えば、日本だと富岡製糸場がそうで、修復作業の現場を見学できるツアーが組まれていました。私は実際に参加したのですが、世界遺産修復の裏側を見ることができる大変貴重な体験でした。このようなツアーによって得た収益を修復の財源にあてることもできますし、とてもいい企画だと思います。

世界遺産の修復という観点で話をすると、例えば、通称『軍艦島』として知られる長崎県の端島(はしま)は人工島なのですが、支える柱が海水の侵食などにより、深刻なダメージを受けています。そこを訪れる人々にも世界遺産の価値を理解していただき、例えば、ツアー料金の一部を修復のために寄付してもらうような取り組みが進むことを期待します」


ーー外務省時代に関わられた中で、他にはどのような危機遺産がありますか

「ミクロネシア連邦という国が2016年に登録したナン・マドール遺跡(注2)があります。こちらも世界遺産への登録と同時に、危機遺産にも登録されました。

(注2)
西暦500年頃からおよそ1000年をかけて建設され、それぞれの人工島が王宮・神殿・王墓・居住域とした役割を持つ複合的な都市遺跡

「ナン・マドール遺跡状況調査」文化遺産国際協力コンソーシアム
https://www.jcic-heritage.jp/project/pacific_micronesia_201110/

地球温暖化によって引き起こされる海面の水位上昇によって、泥などが流れ込み、遺跡が埋もれていってしまうという脅威に晒されていたんです。ミクロネシア連邦のような小さな国には、そういった状況を改善できるようなリソースがなかったので、アンコール・ワット同様に、国際社会の協力を得られるよう、あえて危機遺産に登録したわけです。

このナン・マドール遺跡は世界遺産に登録される以前から日本の大学や民間のチームが積極的に支援を実施してきました。登録後も、世界遺産センターを設けるなど体制作りの面においても、現在進行形で日本政府が協力しています」


ーー観光とも密接に関わってきそうですね

「はい、国際文化観光における危機遺産の価値はとても高いと思います。今は難しいですが、世界遺産は本来、多くの人に見に来てもらうべきものなんです。世界遺産になったからあとは守っていこう、と内向きになっているようではダメです。

実際に見て、感じてもらい、その『Outstanding Universal Value(顕著な普遍的価値)』が一体何なのか、その背後のストーリーも含めて知ってもらう事が大切です。そこにはアニミズムや人々の生活の営み、風習などの無形の価値が必ず潜んでいるので、前回ご説明した『トランスフォーマティブ・トラベル』をする絶好の機会となるはずです。

危機遺産の場合、なぜそうなってしまったのか、そこから脱するためには何をすればいいのか、訪れた人々が真剣に考え、結果的にSDGsへの意識を高め、グリーンリカバリーのヒントを得るきっかけにもなるといいですよね」

高橋政司
ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント1989年 外務省入省。日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2009年以降、UNESCO業務を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」など様々な遺産の登録に携わる。2018年10月より現職。2019年、観光庁最先端観光コンテンツ インキュベーター事業専属有識者。2020年、宗像環境国際会議 実行委員会アドバイザー、伊勢TOKOWAKA協議会委員。


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