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「みえない」は「ない」じゃない。

こんにちは、アブラハムママンです。

今日は、漫画を読んでいたら「そうだよねっ」と思う事があったので書いていきます。

言葉は砕け気味です。
ご了承ください。

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下記漫画は、運命の赤い糸が見える女の人のお話。


小指でとろける赤い糸 麩沢

「見えないって理由が否定の材料にはならない。」

このセルフに私の気持ちが要約されている気がするが、
もう少し書いていく。



昔から不思議だった事がある。
『なぜ自分に「みえない」だけなのに「ない」と思うんだろう。』


よく感じていたのは父に対してだが、他の人にも思ってた。

日本からはブラジルはみえないけど、存在しているよ?
星はきらめきしかみえないけど、存在しているよ?

紫外線然り電波然り、人の心然り。


心も、
態度や目線や雰囲気でわかる人がいるよね。
でも「みえない」人は気づいてもいない時あるし、「ない」ものとして扱う人もいるから「みえる」人は疲れちゃう。
というか、はっきり言っちゃうとわりを食う。

優しい人は損をするやってのはここから来てるんじゃないだろか?


「みえない」からって「ない」わけじゃない。
「知らない」からって存在してないわけじゃない。

だから、私は簡単に否定したくない。
自分が「みえない」「気付かない」からって「ない」わけじゃないって知ってるから。

私は(というか、人は)、穴の空いたバケツだからすくう事ができるのは限られる。

だからこそ、頑張るんだ。
より多くすくえるように。

それが「成長」だし「発展」だし、人によっては「救い」になるから。


そんなふうに頑張ったら、時々、『お礼』というご褒美もらえるかもだし。


上記では、赤い糸だったけど、他にもいっぱいあるよね。
(あ、念の為言っておくけど、「結婚」=「幸せ」なんていうつもりはないよ。「ご褒美」も人それぞれだから。)

昔から、他の人はみえない事がみえたり、覚えてない事を覚えてたから、母が言った
「自分が信じているものの、真逆の事を信じている人もいる。」
という言葉は、すとんと私の中に入った。

「正しい」のも人によって違うしね。


だから、会う人会う人、そう思ってるわけじゃないんだって知った時は、軽く衝撃だった。

「え? あなたはそうかもしれないけど、私は違うんですが?」
「え? 自分は違うからってそんな簡単に否定しちゃうの?」

って。
びっくりしたんだ。

人と自分の顔が違うように、
着る服が違うように、
好きな事が違うように、
嫌いな事が違うように、
食べる物が違うように、
出身地が違うように、
信じてるものが違うように、
事実と真実が違うように、

人との違いを確認して認める事は必要だし、大事だし、当たり前になってほしい。

というか当たり前なはずなんだ。
本当は。

レストランに入って、自分はハンバーグで、隣がカツ丼食べてた時に、
「なんでカツ丼食べてんの?ここはハンバーグでしょw」
なんて思う?
思わんでしょ?

そういう事だよ。

今、やっと多様性って言葉が出てきたけど、
むしろ今まで認めなさすぎじゃない?

「ある」のに「ない」っていう主張に、なんの意味があるんだい?
「いや、あなたにはみえないかもしれないけど、私にはみえてるし…w」
って話だよ。
格好悪くない?

私は格好悪くなりたくないから、
穴の空いたバケツでもすくおうとするし、
簡単に否定もしないようにするし、
頑張るんだ。

それが生きるって事だと思うから。

人が、自分との違いを認めるようになるだけで、全然生きやすい世界になると思うんだけどなぁ。

あ、「ある」のをわかってて「ない」物として扱うのは悪意以外の何者でもないと思う。


まぁ、今日はそんな事を思いました。
ではまた次の記事で。
アブラハムママでした。


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