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【僕の赤裸々幼少期1/5】記憶の始まりは幸せのピークからの転落

僕の記憶の始まりは、2才の誕生日!
水道水のカルキ臭さがまだまだえげつなかった40年近く前の大阪の8月🌞
母が作ってくれた大好きなオムライスの上に、怒られるかもしれないとビクつきながらも大量にケチャップを付けたけど、その日は母も終始笑顔!
怒るどころか「好きなだけケチャップかけていいよ」と大盤振る舞い
今までに食べた中でも一番おいしかったオムライスでした🤤

振り返ってみるとこの日が僕の人生の中での幸せのピークでした💛
でもその数か月後に起きた僕にとっての一大イベントをきっかけに、幸せのピークから滑り落ちていくことになりました。その転落が、僕の人生の最初の記憶です。

2才の誕生日は両親に加え、両親それぞれのおじいちゃんとおばあちゃんがお祝いに来てくれました。そして母のお腹の中には8か月になる妹👶
「お母さーん、いつになったら生まれてくるん?」
「もうちょっと待ってなさい!」
新しい家族がもうすぐ生まれてくるワクワク感と、家族総出で僕の誕生日を祝ってくれている嬉しさ!そして何よりもはっきりと覚えているのが、2人のおじいちゃんが仲良くビールを飲む姿。普段会うことのないおじいちゃん2人が一緒に楽しそうに談笑するその姿を見て、僕を媒体にして家族が結びついていると感じました。それはありふれた家庭という本当に幸せな空間。

「生まれてきて良かった」
2歳ながらもそう思ったか思っていないかは定かではないけれども、その夜はそれはそれは本当に幸せな時間でした!

でもその日を最後にそんな幸せは2度と経験できなくなってしまいました😢
妹が生まれて少し経った頃に、父が蒸発して突然いなくなってしまったからです。
父は大阪大学卒で生保に努める典型的な昭和のエリートサラリーマン。
けれども会社生活が辛かったのか、凧の糸が切れたかのようにどこかに行ってしまいました。

勤め先は無断欠席。
家にも戻ってはこない。
社宅に住んでいたため事情を知る周囲からからは日ごとに白い目で見られ始める。
それまで仲良く遊んでくれた近所のお兄ちゃん達からは徐々に距離を置かれるようになり、外で会った友達に「遊ぼうよ」って声をかけても「お母さんにあかんって言われてるねん」って直球の返事が返ってくる。
母からもあまり家の外に出ないように言われるようになり、
父がいなくなっただけでなく、それまで仲良かった友達との関係がプチプチと切れていく孤独感。
そして父が戻るのを待たず、逃げるのように社宅を出ていくことになりました。

引っ越した先では、母と生まれたばかりの妹との不安な日々。
「いつになったらお父さんに会えるんだろう?」
先の見えない毎日でした。
でも春先になってついに父は戻ってきてくれました。
静岡県の浜辺で自転車に乗っているところ警察に職務質問されたらしく、捜索願が出ていたことから警察官に送り届けられてきました。
「お父さんが戻ってきてくれたからまたやっと家族みんなで暮らせる!😄 3歳の誕生日にはまた家族総出で祝ってもらえる!😄 今度は妹も一緒にいる!😄 」大人の事情を何も知らなかった僕はまた1年前の幸せが戻ってくると思い期待感に溢れていました。
でも待っていた現実はそうではありませんでした。

それからというものは離婚に向かっていく男と女の真剣な喧嘩を目の前で見続ける日常。
両親が元通り仲良くなってほしいと願う日々。
でも一向に仲良くなる気配はない。
父が戻ってきてからは、「元の家族に戻ってほしい」
そう願い続ける毎日を過ごすことになったのでした。

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