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セジマールの作り方その① 誕生〜幼少期(-1歳〜6歳)

はじめまして、noteへでの初記事ということで
しっかり目に自己紹介をさせて頂きます。

おそらくこのページに来られた方は僕本人から無理矢理URLを送りつけられて、仕方がなくご覧になられている方がほとんどだと思います。

せっかくの機会なので、その人の貴重な時間を精一杯無駄にしてやろうと思ってますので、しばしお付き合い下さいませ。

無駄にに冗長され、読みづらいヒストリーとなります。どうぞ

誕生〜幼少期(-1歳〜6歳)

・神戸の呉服屋の息子として産まれ、自身でスナック”藍染”を経営していた男の金玉の中で作られた僕は、沖永良部島をルーツに持つ母親の卵子へ、何億というライバル達を押し退け、最速で到達。

・母親が妊娠中毒症(今は妊娠高血圧症候群っていうらしい)だったため難産となり、24時間以上の陣痛を経て、未熟児&仮死状態で産まれる。
暫く死んでましたが、逆さ吊りにされて医者にバッチバチに叩かれて息を吹き返し、無事この世に生を受ける。その時の名字は「森本」でした。
 
・出産が遅れた為、誕生日が7月7日七夕生まれという人から覚えてもらい易い日になったので結果オーライ。

・その後、小児喘息気味だが特に問題なくスクスクと育つ。

 
・記憶が曖昧ですが、当時の状況を色々聞くと割と裕福な家庭だったような気がします。
 
・通っていた幼稚園で”ケイコちゃん”に初恋をすることになるのですが、その子が後に、あの”北川景子さん”だと僕が知るのは20年ほど先のお話です。(当時はケイコちゃんのパンツめくって遊んでました。)

・経営不振だった父は借金返済の為に母の祖母にお金を借り、そのまま母と息子を置いてどこかへ逃げたらしく、(祖母談)ここから母子家庭時代へ突入し、祖父母との同居生活を送ることになります。(名字は母の旧姓、瀬島へ)

・母は働き詰め(ケンタッキー)だったので日中は祖父母と生活することに。無事おじいちゃん子になりました。

沖永良部島出身の祖父との1枚
 
・ある日、ベランダで買っていた鶉がカラスに食べられる事件が勃発しました。激怒した祖父は5歳になる僕に「かずき、これでカラス撃ってこい」とエアーガン(おそらく大人用)を渡してきました。
公園で銃を持ってカラスを探していると、小学1年生のお兄ちゃんが「それ貸してや」と強引に僕から銃を奪い取り、セーフティロックが掛かっている(祖父から撃つ時以外はしっかりとロックをかけると教わっていた)にも関わらず無理矢理トリガーを引いた為、バキッとトリガーが折れてしまい、僕は号泣。
お兄ちゃんと父親は祖父に呼びつけられ、祖父にめちゃくちゃ怒られてました。大人が真剣に謝る姿を見たのはこの時が初めてです。
後日、お詫びとして大きなラジコンカーが届きました。

・祖父はなにかと僕に”栄養がつくから”と「黒糖で固めたピーナッツ」か「黒糖の塊」を執拗に食べさせてきます。そして、”アロエ”で全ての外傷が治ると信じてました。
お陰様で現在、黒糖は大嫌いです。アロエは近くにありません。
 
・祖父は日中、公園に併設されている福祉センターで囲碁をしているのですが、遊びに行くと必ず「これでオロナミンCかファイブミニを買って飲め(栄養がつくから)」と100円玉をくれました。
僕は公園の横の自動販売機のゴミ箱に捨ててあるオロナミンCかファイブミニの空き瓶を拾い、祖父に「飲んだよ!」と嘘をつき、近くのローソンで駄菓子を買ってこっそり食べ、残りは貯金していました。

・近くのローソンでは100円を一気に使うと何故か”103円”を請求されるという謎現象に直面した僕は、30円づつお菓子を買うと謎現象を回避出来るという技を身につけていました。
5歳にしては、金銭感覚はしっかりしていた方だと思います。

・当時、コマ付き自転車を乗り回しながら、当時住んでいた自宅から半径2キロ圏内(新神戸駅〜灘駅)を探索するのが趣味で、王子動物園(小学生以下無料)に1人で行って動物を眺めたり、布引の滝へ遊びに行ってました。
今思えば、親としてはヒヤヒヤものだったと思います。
 

・6歳になった頃から、母親の友達”こもりくん”という謎の男性キャラが登場します。この人が後の再婚相手になるのは将来のお話。

・母は割と美人で、おそらくモテてたのでしょう。
子供ながら、綺麗なお母さんだなと思っていた記憶があります。

・母の再婚をきっかけに色々と事件が起きるのですが、詳しくは次回にお話したいと思います。

長文にも関わらず、お読み下さりありがとうございます。

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