風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑬サービス精神と反骨精神(1話) SEiZI/晴志
自分史を書き始めて13話目。
まだ小学生から進んでいない(笑)
「自分史」
これは奥が深い。
掘り下げようと思えばどこまでも行けるし
面白おかしい部分だけピックアップするのも全然アリだと思う。
小学校で転校を何度も繰り返した挙句、また中学生「受験の時」に
俺はまた転校を余儀なくされるんだが、その話はまた後に取っておこう。
さて、今回書くのは
「サービス精神と反骨精神」について。
トップページの写真にあるように
「応援される方がいいか?応援されないほうがいいか?」
これってさ、どうでもいい人にはどうでもいいことかもだけど
そうじゃない人には大きな問題!!
ってか、誰だって応援されたいよね(笑)
人が「いい結果を残す時」って「自分のために頑張る!ってことじゃない」ってのは、割と歳を食ってくると解ることだったりするじゃん??
「誰かのために一生懸命にやる」
って、ものすごく美学だし、かっこいいじゃない??(笑)
実際に俺は「誰かのために頑張ること」ですごい評価が得られることを
東北への音楽支援活動でめちゃめちゃ体験した。
それは時として
「売名行為」だとか「偽善」だとか言われることもあったが
そんなもんは通い始めてすぐに「どうでもいい声」になった。
だってそんなこと気にしてられないもんね。
それどころじゃない!!
東北の仮設住宅のみんなのために
「俺たち売れなきゃ!!」
になって行くんだよ。
だから、極端な話、割と冗談半分に言ってたけど
「被災地に行ってないミュージシャンは信じられない」
ってのは、心の奥底で正直ずっとあった。
逆に言うと
「被災地に通ってるミュージシャンは心が通じる」
って言い方もあるのかな?
ま、もう一個あったんだが、ここでは止めておく(笑)
ほとんどの人が???だろうから。
「その歌、家や家族や大切なものをなくした人たちの前で、お前、本気で歌えるか?」
薄っぺらいのよ・・・唄も・・・歌詞が特に・・・。
ってそう思ってたんだよ・・・。
彼女がどうだ?彼がどうだ・・・君の笑顔がみたいからどうのこうの??とか・・・ずっと手を離さないで?だとか・・・
ずっと言えないから、歌でつたえるね!ありがとう、愛してる・・・ウンヌンカンヌン・・・
そんなん歌でなく言葉で直接伝えろや!!
「ありがとう」「愛してる」は言葉が素晴らしいだけでそんなもんは歌詞じゃない。そんな歌で感動できる?
それで感動してるお客さんも??でうんざりだった。
「ありがとう」「愛してる」は俺たちは絶対に使わないぞ!!
嗚呼・・・書き出したら切りないしこの辺で止めとくわ・・・😭
ま、被災地に行くまでは俺も「そんな歌」歌ってたんだけどね・・・(苦笑)でもね、当時は現地に足を運んだ人たちって明らかに違ってたんだよね・・・。
あの未曾有の大災害の時、感受性が豊かなミュージシャンは少なくとも
何かを感じたはずだ。
それすらないのはミュージシャンとして問題外なのかもしれない。
今となっちゃ結局、人生経験や思慮の深さが「音楽」に現れるのかな?とは思うけど。
「反骨精神」
だれにも応援されないし、だれも認めてくれない!だから
「今に見てろよ!!この野郎!!いつかアッ?!と言わせてやるからな!!」
ってのも、かなりよい効果を発揮するものだ。
反骨精神が結果めちゃくちゃ頑張れるパワーの源になったりする。
それは、そうだな・・・4話目くらいで書くかな?(笑)
だから、「応援される方がいいか?応援されないほうがいいか?」って話なんだけどね(笑)
さて、話を戻そう。
被災地の東北に通うまでは、俺は「単に自分が売れたかった」
有名になって可愛いアイドルをナンパしまくって、いい車に乗って、ちやほやされて(笑)どこ行っても「キャーキャー」言われて・・・。
一回言ってみたかったのが
「今、プライベートなんで!ごめんね!」
「事務所通してくれるかな?」(笑)
俺はこの一言のためだけに40歳まで「ミュージシャン」として頑張ってきてたように思う。
逆に言うと、若いころアマチュアで地元で音楽やってって、それなりに人気があったので、きっとプロになるし、プロになったら「多分そうなるな」くらいにしか考えてなかったのかも?
それが、あの東北大震災の一年後、
2012年初めて被災地を訪れたときに、その考えはひっくり返されることになる。
ソーセージを結成して一週間後、結成2本目のライブは、宮城県石巻市の「ボロボロになった公民館」だった。
結成ライブは静岡県浜松市のライブハウス。たくさんの協力者の元、華々しくデビューライブを飾ることができた。
一週間後に被災地でのライブを控えた俺たちは
「余裕!余裕!東北盛り上げてやるぜ!!」
くらいな意気込みだった。
俺たちが参加を決めていた「北上音楽祭」
音楽で被災地の復興を応援するチームだ。
そのメンバーで訪れた「石巻」
忘れもしないよ。
2012年4月28日、宮城県石巻市について街を見下ろせる「日和山」
に上った。
唖然とした。
頭が真っ白になった。
「なんだ?これは?テレビで見た1年前の光景と何も変わってないじゃないか!!???戦争でも起きたのか!!??」
衝撃だった。
こんなことになってたんだ・・・。
言葉も出ない。
みんな無言だった。
石巻、女川
俺たちは現状を見て回った。
北上音楽祭のメンバーの一人が「ダムが崩壊したように」声を出して泣き始めた。
それを聞いて俺は涙腺が崩壊した。
こんなことが同じ世界の中の日本で起こっていたんだな。
「衝撃」だった。
「こんな悲しみのどん底にいる人たちの前で何を歌えばいいんだ?
中途半端に幸せな俺たちの唄が届くはずがない!」
「歌なんか歌ってる場合じゃない!瓦礫の1つ2つでも拾えよ!!」
まだ、捜索をしている自衛隊もいる。
みんな、家族も家も失ってる。
そんな人たちに「何を歌えばいいんだ?」
時間は残酷にもやってくる。
自分たちの音響機材を持ち込んでの被災地での初のライブ。
会場は、電気がやっと復旧したばっかりの一階が
「津波でドテッパラのあいたボロボロのオープンカフェ状態の公民館」。
まわりは津波で流されて何もないし、嫌な臭いがまだ残ってる。
時間が近づくにつれ、どんどん人が集まってくる。
生まれて初めて
「お客さん、こないでよ!心の準備ができてないよ!」
そう思ってた。
ボロボロの公民館に満員の人。
俺たちは歌った。とにかく歌った。
頭の中真っ白で、とにかく目の前にいる皆さんに楽しんでもらおう!と。
何を歌ったのかも全く覚えてない。
ふと気づくと、
すごい拍手に手拍子!笑い声!泣いてる人もいる。
一緒に歌う!歌う!!最後はみんな立ち上がって踊りだしたのだ!
「俺たちってすげぇな!」そうは全く思わなかった。
「音楽の力ってすごい!!」
「俺たちの力じゃない!!音楽の力だ!みんなこういう時を一年間も我慢してたんだ!」
ライブ終了後、みんが集まってくる。
ちょっとしたアイドルみたいだった。
でもそんな浮かれた気持ちはどっかに吹っ飛んでた。
「久しぶりに笑ったよ!久しぶりに歌ったよ!久しぶりに踊った」
「最高に楽しかった!!」「また必ず歌いに来てな!!」
「また来てね!!」「ありがとうな!!またばぁちゃんに会いに来てね!!」「俺達はお前らをずっと応援するよ!!」
「老若男女関係ない!音楽はすごい!!」
俺たちは決めた。
東北に通い続けることを。
「目の前にいる人たちをとにかく楽しませよう!!
俺たちの音楽の時間だけでも、悲しいことつらいこと忘れてもらおう!」
みんなと固い握手をし、また必ず来ることを約束し、俺たちは東北を後にする。
夜明け前の関東へ向かうの高速道路の車の中で「二人で言葉を紡いだ」
「朝焼け!くそったれロード!!」
東北のみんなに、次回、必ず歌ってやろうぜ!!と。
この話は
まだまだ続く。
まずは「第一話目」。
さて、最近、ミュージックビデオを発表しました。
今の世界の現状の中で戦ってる全ての人たちへ!!
俺からの渾身の応援ソングです。
せひ!!見て聴いてくださいね!!
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