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ソーセージ”B-side Story"

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ロックバンド「ソーセージ」https://www.souseizi.com/ 2021年で活動9年目。2020年にN@音(20歳)を正式メンバーに迎えたものの世の中はコロナ禍で手…
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#音楽

ヒーローになりたかった少年の唄2022⑤

歌謡曲久しぶりに音楽の話を。 「歌謡曲」というと「昭和歌謡」を思い浮かべる人が多いと思うんだが、演奏する側の僕にとって「歌謡曲」というのは、演歌からムード歌謡、フォークソングやロック、ニューミュージックなどの音楽ジャンルまでを総合したものなのだ。 「クラッシック」「JAZZ」「民謡」などのジャンル分けとは違い、僕の思う「歌謡曲」というものの音楽的な多様性はめちゃくちゃ幅広い。 だからそれはもう、ジャンルというよりは「演奏する時の心もち」といった感じのもので、当然その曲の

キセキのロックバンドのキセキ⑤ セイジ編

全国各地でライブを続けながら、東日本大震災後、9年にわたり東北に通い、被災地の方々を魂の歌で励まし続けているロックバンド ソーセージ。 そんな彼らが、ステージだけでは見えない素の部分を自分史を通じて描く「B-side Story」も、開始から半年が過ぎようとしている。 私のメンバーインタビューもようやく最終回、セイジの番となった。 先日書いたとおり、4thアルバム『智』(9/11リリース)をリリース、横浜でのレコ発ライブに続き北海道ツアーも終了したいま、彼自身の思いやソーセ

キセキのロックバンドのキセキ④ 4thアルバム「智」への道のり

亡きデザイナーの友に捧げた「ホワイトアルバム」結成9年、全国を旅しながら9年間活動を続けてきたロックバンド「ソーセージ」。 自分史を通じて彼らの「素の姿」を見せることをコンセプトに据えた「B-side Story」プロジェクトで、4月から彼ら自身の連載と、メンバーのインタビューをはじめた。 まず、メンバーの連載と私のインタビューを含めすべての投稿52本が載っているnoteのマガジンがこれ。 そしてこれが私がメンバーに行ったインタビューだけを抜粋しているマガジン「キセキのロ

ヒーローになりたかった少年の唄2021①

僕はミュージシャンを生業としている。 『ソーセージ』というユニットで多いときには年間250本ものライブをしながら全国をどさ回りした。 http://www.souseizi.com/ https://www.youtube.com/watch?v=-JXrPU24RPk&t=322s このコロナ禍で当然仕事は激減し、派手にライブツアーなどができない日々がもう一年半も続いているわけだ。 こんなにライブをしなかったことは、10代後半から一度もなかった。 それはとても悲し

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑳最後の転校。 SEiZI/晴志

またいつか転校するんだろうな。 そんなことは最初から分かってる。 挫折から陸上をほぼ諦めて あとは転校が来るまで割と目立たないで過ごした中学校2年生。 俺の暗黒期。 栄光からの挫折で俺はある意味自信を無くしていた。 さらに、今までの経験から 転校することを意識して友達も増やさなかったし、深くならないようにしてたし、仲のよかった友達とも意識的に疎遠になって行った。 だって、別れがつらいからね。 過去の経験でそれだけはわかっていた。 ただ悔しいのは、思春期の時代。 好きな

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑲サービス精神と反骨精神(7話まとめ) SEiZI/晴志

サービス精神=誰かに喜んでもらうため頑張る。 反骨精神=誰かや何かを見返すために頑張る。 今回はまとめ。 確かにどちらも「成長する」という意味では効果はあるよね。 自分の体験(自分史)を見てもそんな気がする。 「誰かに喜んでもらうため頑張る」ってことは、 俺たちミュージシャンなら主体はお客様、オーディエンス。 そのみんなが楽しんでもらえるようになライブをする。 ライブはファン(お客様)のもの。 (昔はファンと言っていたが今は何様だと思うのだ。お客様だろ!と) ミュージ

キセキのロックバンドのキセキ③ ソウ編

この連載コラムで紹介しているロックバンド「ソーセージ」は、年間250本ものライブをこなしながら全国を回り続け、魂の歌を届けてきた。 この本数のライブをこなしながら全国を回ることは、生半可な気持ちだけでできるものではない。 体力的なことはもちろん、見知らぬ各地のライブハウスでファンの心を掴まなければ、プロとしてバンド活動を継続することは難しいからだ。   彼らはそれを各地で実現しながら、東日本大震災の被災地の人を励ますために、儲けを度外視して音を届け続けてきた。 ロックバン

ヒーローになりたかった少年の唄2021⑧

超簡単!!初心者の作詞、作曲法(ちょっとインチキ) このパンデミック騒ぎのステイホーム中に、みんなネットゲームをやったりネトフリの動画を見たり、色々やり尽くしてきたと思うけど、もう流石に期間が長すぎて飽きてきちゃったんじゃないかな? そんな時、「フェンダー、新型コロナウイルスのパンデミックによって過去最高の売上の見込み!!」こんな記事がネットに踊っているのを見て、ある意味僕は嬉しかった。 https://nme-jp.com/news/93228/ そう、こういう時こそ

子供のころ憧れた自分になる二十歳 自分史二話

だいぶご無沙汰しております直人ですm(_ _)m 前回の続き 前回の自分史でステージデビューを果たして そこから更に音楽に没頭する毎日だった ソーセージはツアーミュージシャンツアーで金沢に来ないと会えない でももっと見たい 親にねだって全国のいろんな会場に連れて行ってもらったりした 今でもめちゃめちゃ感謝している 小6初めてのソーセージライブ遠征 『ソーセージ結成1周年ライブ』が静岡の浜松で行われた。親に車で連れて行ってもらって、ライブハウスへは一人で参加、その間家族は車

キセキのロックバンドのキセキ② ナオト編

全国をツアーしながら、各地で熱いライブパフォーマンスを繰り広げてきたロックバンド 「ソーセージ」 が、結成9年目にして「B-side Story」 という新たなプロジェクトを開始した。   B-sideとは、その名のとおり「B面」の意。 これまで見せなかった、彼らの別の顔を見せるというのがこのプロジェクトに、これまで彼らの「A-side」しか知らなかった1ファンの私も、彼らを「B-side」から見てみたいとこの連載をはじめた。 2回目の今回、メンバーのなかでも圧倒的最年少、

ヒーローになりたかった少年の唄2021③

ファンファーレよ永遠に 小学生の時、学校のブラスバンドにトランペットで参加していた。 「ボギー大佐」とか「ロッキーのテーマ」なんかを演奏した思い出がある。 どういう経緯でこのバンドに参加することになったのかは、よく憶えていない。 男の子のメンバーはほとんどいなかったから、女の子たちに近づきたくて参加したんだっけかな? まぁ、こまっしゃくれたマセガキだったから、そんなことだったかも知れない。 トランペットという楽器にもそんなに思い入れはなかったし、演奏曲目も僕の好きなタイ

キセキの ロックバンドの キセキ ①

人の自分史にフォーカスして生きていると、思いもよらなかったような展開に出くわすことがある。   若いころ、下手なりに真剣にミュージシャンを目ざしていた自分史を持っている私だからこそ、自分が心から認めるバンド以外のライブには行かなかったし、そのあたりにいる有象無象の「ロック風味」や「おかパンク」には全く興味がない。 ロックというのは私にとって、サウンドはもちろんだが、上っ面の見せかけに限らない「一生続くマインドであり生き方」だと思っているからだ。 しかし2013年、そんな私

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡①生誕編 SEiZI/晴志

はじめまして。 ツアーミュージシャン(いわゆるドサ回りシンガー)のSEiZI/晴志(セイジ)と言います。 2020年に50歳になったことをきっかけに節目として自分のソロデビューアルバムの中の一曲「風穴」のミュージックビデオを制作しました。 それとともにこの50年を振り返ってみようと「自分史」的なものを書いてみようと思ったのです。 プロフィール 【SEiZI/晴志】(セイジ) 北陸から全国発信し続けるシンガーソングライター 「北陸の暴れん坊」改め「北陸のHAPPYMA

子供のころ憧れた自分になる二十歳 自分史一話

今日で20歳になる 正直あっという間の20年間 そして更に前に進むために定期的に自分史を書いて 20年間を振り返ってみようと思う。 まずは僕が誰なのかを 山田直人(やまだなおと) 2001年05月20日石川県七尾市にて生まれる 保育園まではまともに登園してたものの、小学校からは不登校。 なぜかというと、周りにいた大人が嫌いだったからだ それでとにかく大人の人達が信用できなかった そんな中初めて本物の音楽に出会う 2011年の2月だった。母の知人に代わりにライブに行くよう