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風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡①生誕編 SEiZI/晴志

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はじめまして。
ツアーミュージシャン(いわゆるドサ回りシンガー)のSEiZI/晴志(セイジ)と言います。




2020年に50歳になったことをきっかけに節目として自分のソロデビューアルバムの中の一曲「風穴」のミュージックビデオを制作しました。


それとともにこの50年を振り返ってみようと「自分史」的なものを書いてみようと思ったのです。


プロフィール
【SEiZI/晴志】(セイジ)
北陸から全国発信し続けるシンガーソングライター
「北陸の暴れん坊」改め「北陸のHAPPYMAN」
「ホントのことしか伝わらない。ホントのことは伝わる。」
ストレートな言葉とメロディーを武器とするROCKシンガーソングライター。

1995年26歳で脱サラ。
ミュージシャンとしての活動をメインにしつつも、舞台役者、ローカルタレント、ラジオパーソナリティ、お笑い劇団などで活動。
2000年あるオーディションで何故?か選ばれ、中国に渡りプロのシンガーとして活動。色々あって帰国後、
2003年東京のレーベルからソロシンガーとしてデビュー。
2012年より「ソーセージ」というユニットで全国、北海道から沖縄まで年間250本のライブを行い、3ヶ月に1度被災地だった東北の仮設住宅などでの演奏活動も継続していた、が・・・
2018年頸椎の病気が再発。手術をするが、両手指、両腕に傷害が残り、2019年障害者認定を受け2020年二回目の頚椎手術待を受ける。
現在、自宅療養リハビリ中。両手指の麻痺は残ったままだ。

おお!ここまで書いても、なかなか波乱万丈じゃないか!!(笑)

1970年10月16日生誕
お昼の12時のチャイムと共に俺は「オギャー」と生まれた(らしい)。
「晴志」でセイジ。
その名の通り「晴れた志を持って生きてゆけ!」と、じいちゃんがつけた名前(らしかった)が、
今頃になってお袋から
「おじいちゃんではなくお父さんがつけたのよ。おじいちゃんは何でも自分の手柄にするから」
と聞かされる(笑)

命名

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金沢で生まれ、2歳位でオヤジの転勤で富山の小杉に引っ越した(らしい)。
とにかく、明るい子で、話せるようになってからはいつも一人で喋って、一人で歌ってた子供だった(らしい)

と、ここで俺の中での記憶がちょっと違う・・・。

俺は毎日、女の子と遊んでいたのだ。
毎日、女の子とお話をし、唄を歌っていたのだ。

物心ついた頃に気づくのだが
「座敷わらし」と遊んでいたのだ。
まちがいなく。

俺はちょっと変わった子だと思われていた。
いわゆる「霊感」がものすごく強かったのだ。

この「霊感」がこの後の人生でも幾度ともなく
不思議な体験をすることになるのだ。

コントロールできるようになったのは30歳過ぎてから
ある霊媒師さんとの出会いからなのだが、それについては
これからまたすこしずつ明かそうと思う。

さて、親父の転勤で小杉からまた金沢へ。
金沢の幼稚園に転園した日のことは妙にリアルに覚えている。

「鼻紙、鼻紙(ティッシュのことね)」と泣きながら
俺をおいてゆく親父を引き止めてた。
なぜなのか?はわからない。
けど、あの光景はいまでもずっとリアルに俺の中に残ってる。

幼稚園のころの俺は
「人見知りのくせに目立ちたがり屋」

注目を浴びるのが大好きだった。
みんなが俺のやることで笑うのが嬉しかった。

たくさんのいたずらをした。
いたずらをして廊下に立たされると廊下でまたいたずらをした。
みんながそれを見て笑った。

俺は完全に問題児だったのだ。



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