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うつ病になってもまだ「つらい」と言う権利があるのかわからない。

うつ病をきっかけに、優しさについて考え直す事にした。最初の経緯はここに。

先日うつ病で通院した際に、先生に怒られた。
「テストでこれだけストレス値が高くて状態が悪いと出てるんですよ。自分では安定してますと言っていましたよね?自分でちゃんと状態を言ってくれないとこちらとしても分かりませんよ、、!?」

先生の言うことはもっともだ。しかし、「つらいです」と言っていいのかわからない。自分よりもっとつらい人がいるだろうにつらいと言っていいのかわからない。

最初に精神科に行った時も「抑うつですね。」と言われた。自分の知っている言葉に何だか控えめな漢字がくっついてきたので
「うつとは何が違うんですか?」と聞いたところ
「この状態が長期的に悪化したりするとうつですね。今はその一歩手前です。」と言われた。
なるほど、もっと悪くなる前にちゃんと病院にきてよかった。と思うと同時に
「もっとつらい人もいるんですよ。」と言われたような気がした。

家に帰り、”抑うつ”と調べると、検索結果には、”甘え”だとか”仮病”などと言う言葉も出てきて驚いた。え、自分のこのつらさって甘えなの?

そういえばうつ病になる前から、似たようなことを感じたことがあった。

仕事で自分の部署に退職者が続出して仕事量が増え続けている時に、さらに仕事の依頼が上司から来たので
「今かなりキャパオーバーでして、残業時間もすでにギリギリなのでその仕事を受けれる自信が正直ないです。」と答えた時があった。
すると上司からは「自分だけが頑張ってると思うなよ?」という答えが返ってきた。

僕そんなこと言ったっけ。
自分”だけ”が頑張っている場合を除いて「頑張ってます」と言ってはいけないのか。

多分上司もつい言ってしまっただけで本心は「俺も必死に頑張っていて弱音を吐かずに頑張っているのにお前がすぐに弱音を吐くのはなんか許せない。」みたいなことだと思う。

(これはこの前書いた
”他人のネガティブに対して不寛容になるほど頑張って装っているポジティブはむしろ組織に対してのネガティブ要因だ。”ってことと通じている。)

まぁ立場が上になると責任も増え仕事の量が増えるのもわかる。「でもそれなりにお金もらってんじゃん」とも思うけど。

多分僕たちは自分がつらい時にすぐに”耐える”と言う選択肢が出てきてしまう。”頼る”がなかなか出てこない。”欲しがりません勝つまでは”精神が色を変えて思考の土台に染み付いているんだろうなと考えたりしたこともあった。

自分がつらい時に誰かを頼ってもいいんだとまずは自分に言い聞かせるとともに、自分より程度は低いかもしれないけど誰かがつらいと言っているときはそれを認めてあげると言う風潮をみんなで作れないだろうか。

自分に対する優しさを持てないと他人に対する優しさは持てなそうだから。

まぁそうなるとつらいと言える相手がいる人といない人がいるという次の問題が出てきそうだけど、それはいつか考えよう。

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