見出し画像

優しさ2.0

”優しさ”をアップデートする。
そのためにしばらくnoteを続けてみようと思う。


昨年2023年11月、新卒で入社して一年半で鬱を患った。今も療養生活を続けている。こんなにも人や社会と関わることが辛いことだとは思ってもいなかった。

鬱になってから、普段だったら平気なこともストレスを感じたり体力を奪われるようになった。朝起きること。人との会話。電車に乗ること。そして一番は、SNSを受け入れられなくなった。

「ポストする」というボタンもみんなで一斉に押せば誰かを他界させるということはもうほとんどの人が気づいている。なのにそれを繰り返す。そうやって今日もまた誰かと誰かが争っているのを目にするのが辛くなった。

SNSに関してもう一つ感じたことがある。今年の元日もそうだったが、震災などが起きると避難場所や防災グッズ、津波の危険性など、身を守るための情報が一気に溢れる。そして、普段何かの批判をしているように見える人もそういった情報をたくさん投稿している。
僕はこれを、震災の時だけ心を入れ替えているのではなく普段も誰かを想ってだとか社会への貢献など、ある種の優しさ正義を持って投稿をしているのではないかと感じた。

つまり、根っこにあるのは”優しさ”なのだがそれが誰かを攻撃してしまっているとか、悪に対して自分の正義を主張しているんだけど反対側にあるのは悪ではなくて別の正義だった。ということが起きているのではないかと。多様化の中で増えすぎた優しさが人を傷つけているかもしれない。

何より、同じことが仕事上でたくさん起きていたと感じている。そして身勝手な優しさに挟まれるのはかなり苦しかった。自分自身にも思い当たる節は山ほどある。

だから鬱を患ったことをきっかけに、せめて自分はこれ以上自分の優しさで人を傷つけたり、自分の優しさと誰かの優しさを戦わせることで互いを傷つけあうということはしないために、優しさが増えすぎた世界で僕たちは優しさをどう扱えばいいのか、どう捉えていけばいいのか。優しさ2.0を考えたくなった。つまりまだ優しさ2.0は何も出来上がっていない。いろんな角度から優しさについて考えながら、言葉にしながら、形を見つけたい。もちろん他の人からも意見をもらえるかもと期待を抱いてnoteに書いている。

「自分がもう一度社会に復帰するまでに、少しでも優しさが人を傷つけることが減るといいな〜」なんて、そんな願いを抱きながらマイペースに更新していこうと思う。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?