見出し画像

うつ病と診断されて6ヶ月の現状

たとえば、今すれ違ったカップルが家に帰ってから、一緒にご飯を食べて、キスをして、夜の営みをして、そうやって生活をつづける中で、自然と脳内に溢れてくるはずの神経物質を、僕はカタカナが3つか4つ、もしくは6つか7つ、幾つであれ、たまたま落ちていたのを拾って組み合わせたような名前の錠剤を毎晩飲むことで補っている。

薬は魔法みたいで、眠くなったり、足元がふらついたり、気分が良くなったり悪くなったり、いつもよりおしっこが黄色くなったり、体にいろんな変化を起こすのだけれど、半年間たくさんの試行錯誤を経て、今僕の体はよく動くようになった。

心もたくさん動く。感動できなくなった小説にまた感動できるようになったし、視界に入る光量に耐えられなくて見れなくなった映画も、また再び楽しめるようになった。

もうパズルゲームで脳を思考停止させることでしか時間を消化できない僕とはオサラバしたし、だんだんと%の前に書いてある数字が増えていくお酒とも別れた。
というより、お酒はうつ病の薬と相性が悪すぎて、「飲んじゃダメですよ」と言われていたのに飲んでみたら、そりゃもう、薬の副作用も強まるしお酒の酔いも強まるし、それはそれは不快だったので潔くやめた。


生活リズムも取り戻してきた。2ヶ月前、現状をnoteに書いたときは、完全に昼夜が逆転していて、起きた時に見る太陽は夕日だった。あれは朝焼けのように見えるのにすぐ沈む。

今の生活リズムだってもちろんお薬のおかげで、「薬」という漢字に”様”をいくつ足しても薬への敬意は表せない。お薬様々々々々々々々だ。愛情すら感じる。

今ならトー横キッズたちにオーバードーズの魅力についてインタビューしたいし、太宰治の睡眠薬の摂取量にもちょっと同情する。僕はやらないけど。

だって睡眠薬を飲んで30分くらいすると、「今日はまだちょっと起きていようかな」と思っていても真っ直ぐ歩けないくらいフラフラするし、寝る前の記憶が曖昧な時が頻繁にある。

朝起きて、身に覚えのないインスタ投稿をしていたり、普段なら躊躇するようなサブスクの契約をしていたりする。睡眠薬の、無意識の世界への入り口は引力がすごい。

こんなの大量摂取したらそりゃ一瞬気持ち良くなるし、ふわふわするし、ラリるし、幻覚見るし、死んじゃうよ。【薬は医師の判断のもと適量摂取。】この徹底は忘るべからずだ。

こうやって、いわゆる普通の人間の、普通の生活の営みを、お薬と手を繋ぎながら人工的に作ってる。そんな生活は偽物か?そんなことは知らない。どっちでもいいし、どっちでもある。リアルとフェイクの境界は溶けた。パズルゲームとお酒で脳を麻痺させながら生きていたあの時よりもたぶん、今の僕は幸せだ。

生活が戻っても、「僕には人と関わる能力がないんだろうな」という意識は強まる一方で、仕事への復帰は全くイメージできていない。それどころか、満員電車に乗ると手が震えたり、動悸がしたり、冷や汗が出てきて、胃から特級呪物が込み上げてくるような感覚が起きるようになった。

人混みに行っても同じように、常にキョロキョロしては人間に怯えている。

だから僕は、、。
だから僕は、これからどうやって生きればいいのだろう。

薬のおかげで体調が戻ってきて、だからなんなんだろう。心身ともに回復の兆しだけれども、人と関わりたくないという気持ちは強まるばかりだ。それでも、人と関わること、分かり合うことを諦めたくない自分もいる。

そうだ。「それでも」だ。

多分これから僕は、薬と一緒に「それでも」の世界を創る。人間なんて大嫌いで、人と関わりたくないこのクソみたいな世界で「それでも」を探し求める。それにはやっぱり優しさが必要だし、愛情も、勇気も、知識も、行動も欠かせない。

うつ病になって6ヶ月。
「それでも」を探す準備はできた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?