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理解できないという優しさ(Blue 感想文②)
川野芽生著『Blue』
先日感想文を書いたのだがこの本がスキすぎてまだ書きたいことがあったので第二部。
この本の一つの特徴として、
高校生の彼らの会話の質が本当に良かった。
劇を演じるために人間に対する洞察力やアンテナの感度が高いというのはあるものの、それを踏まえても高校生とは思えない、というか僕の身の回りにいる大人より遥かに優しさと配慮に溢れた会話であった。
特に感じたのは
”曖昧な理解“という選択肢をもつこと
現実の社会でこれができる人はとても稀だと感じている。
例えば、僕は小さい頃母親のペディキュアを借りて、靴下の中にこっそりペディキュアを潜めて保育園に通っていた。つま先に宝石を隠しているようで、塗るときは毎回ワクワクしていた。七五三の着物もピンクを選び、3歳の頃からカワイイが大好きだった。今でも「この服いいな」と感じるものが大体レディースだったりする。
この話を聞いてすぐに、「あぁ、オネエの人だ」と理解する(したつもりになる)人がいる。それとすでにLGBTなどと自認している人は、この話をするとすぐに僕のことを何かのアルファベットやら記号に当てはめたがることが多い。
でも僕は恋愛対象に男性が入ったことはないし、大学の時はずっと彼女もいた。それにピンクや可愛いものが好きと言うことが女性らしさの条件であり、男性に相応しくないのかも分からない。だから自分が何者か分からないし、アルファベットを当てはめて安心したいわけじゃない。ただ僕はそう感じるというだけ。
だがそんな曖昧な状態を人はなかなか許してくれない。
ゴールは彼らの納得感なので、「これだ」という何かに出会うまで土足で踏み込む。
「それって結局LGBTってやつでしょ?」
「でも本当は男性のことも好きとかじゃなくて?」
「性的マイノリティではあるんだよね?」
知るか。お前の知ってる何かの枠組みに入れようとするな。
(自戒をこめて。僕も無礼に踏み込みすぎたり決めつけた経験は山ほどある。)
もしくはハナから理解を捨てること。
「男のくせにキモい」使いやすい言葉だ。
内心がここから変わらない人がたくさんいるのは知っている。ただコンプライアンスに従うだけ。自分の理解が及ばなそうなものは全て腫れ物。距離を取り否定することで未知の存在から自分の優位性を担保。
理解した気になるのも、理解しようとしないのも、あまり好きではない。僕が目指したいのは、曖昧な理解だ。
この本の中に出てくる高校生たちにはつい理想を重ねてしまう。
相手の理解を怠るわけではなく、関心を持ち、問いかけたり想像する。でも完全にわかった気にならない。曖昧な理解という選択肢を持てるから、自分の納得感をゴールにせず、むやみやたら、根掘り葉掘り相手のプライバシーに土足で入ってくこともない。遠すぎないし近づきすぎない、言うなれば、曖昧な輪郭に触れ合う距離感。
相手のことを完全には理解できないと思うからこそ誰よりも理解できるという現象は存在すると思う。そのことを少し確信に近づけてくれる本だ。
こんな読書体験は久しぶりだった。
曖昧な輪郭に触れる読書体験をぜひ。おすすめです。
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