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結果-03|『透明な好奇心』

本節では、当事者である山崎の視点から、セイタロウデザインのブランディングプロセスについて、解説する。

本連載は、アートディレクターの山崎晴太郎が、社会学者加藤晃生との出会いにより、自身の理論化されなていない活動をアカデミズムに客観視してみたい。そしてそれを言語化し構造化したもの見てみたいという、純粋な知的欲求に基づき始まった連載である。あわよくば、それが後世のクリエイティブを志す人たちへの一つの武器となることを願いつつ。
山崎晴太郎 序文|『透明な好奇心』参照

セイタロウデザインのブランディング分析:前の記事はこちら

当事者の視点からの考察

 本節では、前節で指摘したセイタロウデザインの諸特徴について、山崎自身による解説を示す。

セイタロウデザインの人材育成方針の変遷

まず、本文内で属人的な取り組みをどの形に展開することを選んだのか、という点。なぜCを選んだように見えるのか。

それは、セイタロウデザインのこれまでの人材採用と育成戦略の結果と言えます。

元々、創業から7年ほどは、セイタロウデザインは中途採用を一切行なわず、新卒採用のみ行なっていました。新卒にこだわったのは、「ジャンルを決めてしまった人にはフラットな視点で拡張することができないのではないか」という仮説を持っていたからです。

これを具体的に説明すると、こうなります。

例えばグラフィック分野に自分自身のデザイナーとしての社会的アイデンティティがある人は、グラフィックデザインで物事を解決しようとします。ウェブデザイナーであれば、ウェブデザインで物事を解決しようとするでしょうし、建築家であれば建築で物事を解決しようとするでしょう。

セイタロウデザインを創業した時点では、これをまっさらにしないと、僕の考えている「理想のデザイナー」が育成出来ないのではないかと感じていました。

それは、前の章でも触れましたが、僕の「遊び」という感覚に紐づいています。デザイナーがこだわるべきものはジャンルではない、と。実際、グラフィックデザインから始まった僕のキャリアも、ウェブデザイン(今日のデザイナーとしては当然ですが)、プロダクトデザイン、建築、経営、アートという形で拡張を続けてきました。

人材をジャンルという枠組みで捉え、それに準拠した形で採用・育成を行うよりも、ジャンルより上位の階層にあると僕が考えている<遊び>という視点や、(実はあまり好きではない言い方ですが)問題解決という視点を持ってもらうような人材採用と育成が大事であると。

僕は、全てのジャンルは社会の中で便宜的に用いられているセグメントでしかないと考えています。ですが、例えば僕の大好きな「ドラえもん」が子供向けの娯楽作品であると同時に、あらゆる年齢層が楽しめる極めて上質なサイエンス・フィクションであり、また奥の深い寓話集でもあるように、物事は常に多面的であり、多義的です。

試しに考えてみてください。ドラえもんの本質とは何でしょうか? 娯楽でしょうか? SFでしょうか? 寓話でしょうか? それ以外の何かでしょうか? ドラえもんの本質を一言で言い表せるでしょうか? それは不可能だと思います。

ですが、ドラえもんの持つ様々な魅力は全て、人間をどう表現するか、人間に何を感じさせ、あるいは考えさせるかという問いから生まれているはずです。

根源にあるのは、人間という問いです。人間を、人間は、人間が、人間に、人間の、というような言葉から始まる問いだと思います。

一つのジャンルにこだわるのではなく、それより上位にある「人間」という視点から始めることが出来るデザイナーを育成することが出来れば、僕が表現行為と考えるものの根元を肯定できるのではないかと思っていたのです。複合的に人間を横断できるデザイナーは、全てのクリエイションにおいてクリエイティブディレクションができると思いますし、それが可能であることは、僕自身の仕事という形で少なからず証明できていると思っています。

しかしながら、ジャンルを定めないデザイナー育成という考え方に基づいて7年ほどやってみた結果、もちろんその間も常に全力で新卒採用の社員の教育に向き合ってはいたのですが、僕の教育スキルが至らなかったところも多々あり、様々な表現領域を自在に横断するデザイナーを育成することは出来ませんでした。

つまり、当初はBのような組織が最強だな、と思ってその形を目指していたのですが、その形を作ることは僕にはできないのかもしれない、とある時点で気づいたわけです。その辺りの時期から、中途採用を初め、いわゆるスキルのアセット、標準化といった思考に進んだのだと思います。

ですから、出来るだけ正確に言いますと、「当初はBを目指して新卒のみを採用してきた。そこには、全てのデザインができるデザイナーたちを自分は育成出来るのではないか、という夢があった。しかし、それが頓挫したので、Cの形を取り入れた」という構造です。

実際、現状でもセイタロウデザインは決して規模の拡大を目指してはいません。僕の考えるセイタロウデザインの理想的な組織のありようは今もBです。そして完全なBの形を当面は諦めたので、現在はBとCの間のいい塩梅を探っているわけです。これは別の視点から見ると、個々のデザイナーには自由がありながら、組織の力も同時に活用出来る、その適切なバランスを探っている段階とも言えるでしょう。

創業から7年間の社員教育の振り返り

誤解を避けるためにきちんと書いておきたいのですが、セイタロウデザインの創業から7年間の間に新卒で入社した人たちが、デザイナーとして見劣りする人たちであるということではありません。僕の教育スキルと目指した形の乖離という点に問題があっただけなのです。

 あの当時、社員には次のような話を常にしていました。

 あなたたちが現役を引退するまでセイタロウデザインで働いてもらうことは、出来ないかもしれない。僕が新たに大きな挑戦をしたいと思ったとき、会社という組織が邪魔になったと感じたならば、明日にでも会社を解散しますと言う可能性もあります。ただし、その時には必ず同世代のデザイナーよりも力のあるデザイナーになっているはずだし、そう育てる自信がある。だから、頑張ってついてきて欲しい、と。

ですから、当初に思い描いた領域まで広がってはいませんが、うちのような、なんの後ろ盾もない、ぽっと出の小さな会社から日本を代表する総合デザイン会社に転職したり、コンサルティングファームがデザイン機能を持つという社会的な流れの中でそのクリエイティブに転職したり、スーパーインフラ企業のインハウスデザイナーに転職したり、いつの間にか海外で活躍する日本デザイナーの筆頭になっていたりというように、元社員たちのキャリアがそれぞれ構築できているのは、僕が本来思い描いていた形とは違えど、少なからず武器を手渡すことはできたのかな、と嬉しく思ってもいます。


ワークパッケージの数の多さについて

 現在セイタロウデザインが営業用の資料として使っているブランディングプログラムの説明は、自分としてはかなり大雑把にセグメントしてプログラム化したつもりではあったのですが、他の著名ファームと比較していただくと、その区分けが多いというのは、今回大きな発見でした。

自社のブランディングプログラムの資料に大量の区分けを提示していることと相反するようなことを書きますが、ブランドもデザインも経営も存在としてのありようは同じで、1本の線の上の曖昧な無限のグラデーションという形で成立しているものであると思います。

ブランディングとは、その無限のグラデーションの中に、そのクライアントのありようや目指すものに沿った固有の点が打たれるべき場所を発見してゆく作業であり、またそのようにして発見した点をどのような解像度で言語化し、社会に発信するかを考える作業でもある、というイメージを持っています。

ですから、今回セイタロウデザインのブランディングプログラムの資料として参照したものは、あくまでもセイタロウデザインが行うブランディングという作業の一つの例という位置付けです。基本的には、個々のクライアントごとに更にカスタマイズする前提で作られています。

実は、この資料が作られた理由は、先程説明したような「社内での技能のアセット化」の他にもう一つありました。それは、投資ファンドを含むセイタロウデザインのクライアントの担当者の方々からの要望です。

僕自身からセイタロウデザインによるone to oneのブランディングの方法や過去の実績を説明された担当者の方々は、その場では内容を理解して頂けるのです。けれど、それを自社に持ち帰って上司や周囲に説明しようとすると、どうも上手くいかないという問題が生まれていました。

そこで、本来は1本の線の中の連続したグラデーションとして存在するブランドに、あえて点を与えたのが、この資料でもあります。

 ですから、今回かなり細かいと指摘をいただいたこのプログラムですが、実際にセイタロウデザインがやってきた内容を鑑みると、もっと細かくしようと思えば、さらに3倍くらい細かい解像度にもできるだろうな、とも感じました。

経営におけるブランディングパートナー事業の役割について

 これは、上述した話にも通じるのですが、人間存在としての経営者には二つのレイヤーがあると常々考えています。

一つは言語や論理といった形を持つ以前の、曖昧な混沌(Chaos)の状態のレイヤーです。ここでの曖昧さとか混沌といった言葉に悪い意味は一切ありません。機械語で記述されたプログラムによって動くコンピュータとは違い、生物としての人間は言語になる以前の神経伝達物質や電気で情報を扱っていますから、それらが曖昧であり混沌としているのは当たり前です。

 もう一つは、それらの曖昧さや混沌を言語化し、あるいは数字や数式にしたレイヤーです。社員や外部ステークホルダーに経営として見せる部分は、基本的にはこちらのレイヤーです。

さて、当然の話ではありますが、会社経営という概念そのものの中には、古代ギリシャの哲学でいうところのイデアは存在しません。会社経営に理想の形、究極の形はありません。経営者はこことこことここの点さえきちんと抑えていれば間違いは無い、という点など存在しません。会社組織ごとに固有性があり、経営者は常にそうした組織ごとの固有性を孕んだ、そして曖昧さを内包した線の中で経営をしていると僕は思っています。

ブランディングパートナーとして何より大切なのは、そのような「経営の非言語領域」の時点から経営者のパートナーとして伴走することだと思います。経営者が経験している「経営の非言語領域」は、僕がデザインの諸領域を横断して見ている感覚にかなり近いのではないかと思っていますし、またデザイナーはグラフィックや建築といった非言語領域の創造にコミットしているからこそ、そうした非言語領域を扱う部分が経営者の非言語領域と共鳴するのかな、とも思っています。

僕が経営とデザインの親和性は非常に高いと考えている理由はここにあります。

 また、ここで述べている「経営の非言語領域」に関連することだと思うのですが、僕はクライアントのことを、社長や専務というように、役職で呼ぶことはありません。このルールは社員にも徹底して守ってもらっています。何故ならば、誰かを役職で呼ぶということは、その誰かの組織の中での役割を一つの固定された点として、あるいはその誰か自身の固有性や、その誰かとその組織の関係の固有性を捨て、社長や専務といったどこの会社にもある一般的な概念として、認識している気がするからです。

ですが、それらの役職名はどこにでもある記号でしかありません。会社経営を行っているのは人間であり、人間の中には非言語領域があり、会社経営はこの非言語領域を伴って、あるいはそこから発出するものです。わかりやすい例を挙げるならば、経営者がどうしてもこれをやりたい、これを作りたいと感じているとき、その「感じ」はまさに非言語領域からやって来ているのです。

僕たちデザイナーが、クライアントの非言語領域にある何かが言葉や形になる以前の段階から伴走するパートナーであろうとする時、僕たちがクライアントに呼びかけるために用いるべき記号は、そのクライアント個人の名前以外にあり得ないのではないかと思っています。


セイタロウデザインのブランディングプロセス分析編
結果-01|『透明な好奇心』はこちら
結果-02|『透明な好奇心』はこちら

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株式会社セイタロウデザイン代表、アートディレクター、デザイナー。株式会社JMC取締役兼CDO。FMヨコハマ「文化百貨店(毎週日曜2430−2500)」パーソナリティー。NPO ATRS WORKS理事。東京2020組織委員会スポーツプレゼンテーション・クリエイティブアドバイザー。