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マーブル

タイトルは決まってない

頭で考えているだけで手が動いていないから
考えずに文字を打っていく

宇多田ヒカルがツアーをやるらしい
嬉しい、絶対いく

オードリーの東京ドームのライブ行きたかったけど当選しなかった
人生でやりたい100のことの一個だったから悲しい
文法とかどうでもいい

プレイリスト作りたい
車でかけるやつ
作れば良いが時間がかかると思うと腰が重い
何もやるにも時間を考えてしまう

例えば、何か新しい趣味を始める時もこの年齢でとか
他にもやらなければいけないこととかそういうことを考えると腰が重い
それは本当にやりたいことなのか
いや、それをやった後にあるものを求めてる
趣味が自分の生きるための糧にならないかなとかいう世俗的な考え方が(近年のyoutuberなど)単純にその作業を楽しむという本来の趣味の醍醐味を奪っていると考える

もうなんでも良い
書いていこうその調子

自分は仕事に好き嫌いをもちこんでいる
だから調子が乗らない作業を後回しにしている
趣味も一緒だ
本当はやりたいのに
無料でもできてハードルも低いのに

単純に最近の仕事が忙しすぎたからそういうことを思うのかもしれない
11月の残業時間が100時間近くまで行った
好きなこととかやりたいことならそんなものどうってことない
いや、好きなことを仕事にした時に自分の足りない頭で予想している仕事のイメージと違うところがあると嫌になってしまうかのせいがあるからそうは言えないのか

まあそんなことはどうでもいい
正解なんてない
仕事の最中に今の仕事は向いていないのかと考えることが100回ぐらいある

今まで努力(長時間)で色々なことに対処してきたが、それじゃ立ち行かなくなってきている感覚がある。
才能とかセンスとかそういった類のもの
元から自分にそういうものがあるとして
それが今の仕事とあってない感覚

まだ始めてからそんなに時間が経っていないからでどうにかやってきたがもうダメなんじゃないかと思う時がある

センスがないからを言い訳にして努力から逃げようとしているのか
うーん、なんとも難しい

自分に合う何かを探す作業をしていない
だから視野が狭い

次はやりたいことを書く
それを分割して取り組みやすい状態にするところまではやろう

あと、短期的にものを考えすぎる
長期的に取り組むことはできるようになるのか
少しずつものをクリアしていって積み上げて完成させる
それが自分にはできるのか、この年からそういう人間になれるのだろうか
それこそ長期的にものを考えられていないのではないか?
自分がそういう人になるにはその人になるために目標を分割してそれに取り組んでいってみるしかないんじゃないのか?

目的なく何かを続けていくのは比較的できる人間だとは思う

要は
継続力はあるが結果を求めてそのために努力はできない人間

何かを作ろうとした時に途中障害が少しでも出るともうお先真っ暗
飽きてしまう

人に頼れない弊害が出てる

てか、そもそもその障害ができた時にそれを自分の力のみで解決できる人間がどこにいるのだろうか
妥協という手もある
自分のいいところに諦めなく粘り強く取り組むということを面接の時にいった
それが悪い方向にはたらいているのか?
いや、人に頼ったり相談したりする
そしてそれを素直に受け入れる
これが足りない

何かを作ろうとした時に
すぐ批判的な意見が思い浮かぶ
取り敢えず自分ができるところまではやってあとは人に投げる(評価してもらう)
それで意見もらってそれを解消していきたいのだが
その解決策までは人は出してくれない
自分で考えて出すしかない
少し調べてそれを試す
試すという行動が足りてない
だってそれって今まで積み上げてきたものを壊すことだから
そうすると頭の中がごちゃっとして
対処できなくなる
ごちゃっとすると不安になる
対処できなくなると思うから。多分そこでパニックになる
そこは一旦落ち着いていい、時間をかけていい。前とのつながりを保とうとする
いや、いいもっと自由で

そこが自分が硬いと言われる所以だ
もっと柔軟に受難じゃなくて

もっと自由でいいじゃない
何かに縛られるのが好きなマゾ人間
もっと自由でいい。
他人の視線とかどうでもいい。

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