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現実逃避なのか、直視できない。母の看取りから8か月たちました。

亡くなった人の写真を部屋に置いて、
話しかけているシーンを
ドラマで見かける。
実はあまり共感できていなかった。

でも、今はまさにドラマ通り。
まるで母がいた時と同じように、
「お母さん来たよ~」
「お母さん、明日は休みだから来ないよ、
ごめんね~!」
「今日は○○さんが来るよ」と

母が闘病していた時と、ほぼ同じくらい
私は母に語りかけている。

母は、最後のほうはずっとベッドで
寝たきりだったので、亡くなっても
違和感なく生きていた時と同じような
感覚でしゃべりかけられる。

だけど、母の遺品やいつも置いている写真
以外の写真はまだ直視できない。

スマートフォンに、母の以前の写真が残っていて、
これは1年前の写真ですとか勝手に表示される
時は、見た瞬間「わっ!」と
思わず目をそらしてしまう。

私の心の中では
まだ母は生きていることになっている
のかもしれない。

人は、辛い現実を受け入れたくない時、
空想の世界に逃げることがありますが
ちょっとそんな感じなのだろうか。

55歳にもなって
今更母親の死で、ジタバタするなよって
話ですが、

母は、唯一無二だった。

母の体の中から出てきた私にとって
母の死は、なかなか通り過ぎていかない。

とらわれているし、執着という引っかかりで、
それは無智だとわかっている。

私は、ヨーガの世界観や仏教的な思想も自分なりに
学び、心もある程度は制御できるほうでは
ないかと自負しているのだけど・・・

自分の感情を全て思うようにコントロールし、
発生する気持ちまで
意のままにできるわけでは、もちろんない。

今は、自然な自分の中に生じる感情の
在り様を観察している・・・。

大人になってからの父母との同居や近居。
まずは買い物サポートから始まり、
病院の通院や救急対応。
関東から、父母のいる関西への移住。
自分自身の仕事も
再び、 ゼロからの立ち上げだった。

自分の仕事と父母の病院や
施設の手続き、やがて介護。
心身共にエネルギーの消耗が
激しい数年間だった。

育児と仕事の両立も大変なのは承知の通り
だけど、介護と仕事の両立も
なかなかハード。
介護ヘルパーの資格と経験は
かなり役にたった。

父は、今は施設。
冒頭の写真は施設内を散歩した時のショット。

母より父のほうが長生きするなんて
想像もしていなかった数年前。

今のところ、父はもうしばらく
生きそうな予感  笑

2023年12月の暮れ・・・
母を失った喪失感はあるものの、
仕事が順調なのには救われる。

無理があまり効かない年齢になって
きたので体調管理しつつ
変化が激しそうな予感のする
2024年を迎え、
日々丁寧に生きていきたい。

来年も頑張ってみようかな・・・。

長文失礼致しました!
お読みくださり誠に感謝致します。











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