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母親が難病いきなりの余命宣告。50を過ぎて情けないけど母を失う恐怖で涙が・・・。

今日、初めてnote書いてみます。

はじめに・・・。
私は約20年程ヨガのインストラクターをしております。
ここ10数年は主にパーソナル整体ヨガを軸として
日々活動しています。

24歳で家を出て独立し、関東で暮らしていましたが
このまま親の死に目にもあえず、何もできぬまま親を
見送りたくないという想いから、
46歳の時に主人と二人、関東から親のいる兵庫へ
リターン移住したのです。

親と言っても私の親。 主人の郷里は鹿児島なので、
私の希望に「いいよ」と即答してくれた彼には
感謝しかありません・・・。

移住後、教室をまたゼロから立ち上げ、
教室リフォームをはじめとしたドタバタ奮闘記は、
また別の機会に綴らせていただきます・・・。

今回noteを始めるきっかけになったのは
母の難病発覚といきなりの余命宣告。

病とは無縁の人生だった母。
いつも元気で力持ちで明るかった母。
100歳まで生きるんじゃないかとさえ思えた母。

時には、
「いつまでこの親は生きるんだろう。
私はいつまで親の面倒をみないといけないんだろう。」
「ウザイなぁ。もう、死んでもいいよ!」
とさえ思うこともあったのだ。

これは親と同居したり、近居の方はわかる、わかる・・
と思ってくださるかもしれません。
親のしてくるお節介に苛立ったり・・・やけにムカついて
しまったり。
もちろん、大半は優しくしていたとは思うけど

もう、居なくなってもいいよ・・親なんて・・・というのが
本音なのか、もっと優しくしたいというのが本音なのか・・
自分でもわからなくなることさえある
親のそばで暮らす日々・・・8050世代。

ただ、このわからないが一変した。
2022年3月。母が特発性間質性肺炎という指定難病だと
診断されたのです。

余命は3年から5年。ただ、母の場合は病院に行かなかった
だけで、発症は2019年3月だそうで・・・
今回の診断は、ガンでいうと末期だとのこと。
もしかしたら、あと半年も命はもたないのかもしれない。

お医者様曰く、
いつ死んでもおかしくないし・・・あとどのくらい生きれるか
わからないけど、在宅酸素治療を今すぐ開始しましょうとのこと。

診断の翌日、在宅看護師やヘルパーさんとの打ち合わせ、そして
酸素治療が始まりました。

在宅酸素治療が始まり、母も酸素を鼻から吸引すると呼吸が楽だとのこと。
これで、どこまでもつのか・・・

母の病気を知る2日前から、なぜか急に私の左ひざが痛み始め、
その後1週間もしないうちに、私の膝は水がたまり曲げることも、
ちゃんと伸ばすこともできなくなってしまったのには驚いた。
整形外科に行き、水を抜いてもらいヒアルロン酸注射をしたが
すぐには元通りにならない。
レントゲン結果は、膝の関節の変形もなく・・・なんでかなぁと
ポツリ言う医者。

体と心は繋がっているとはいうが、
母を失う恐怖に襲われ不安と悲しみによって母の診断を聞いてから
しばらくは涙のコントロールができない日々が続いた。
膝は私の心をあらわしているかのように、パンパンに腫れ痛んだ。

息ができないような心の苦しみ、
母と居れるのはあともう数か月もないかもしれないという悲しみ。
ずっとあるのがあたり前だった母の温もり・・・。
それを失うことは、正直今は受け入れることができない。

母は100歳はおろか、90歳を越えることができないんだという
現実。 母は今83歳だ。

インターネットで、間質性肺炎で余命よりも長く生きれたとか、
治ったなどの記事をひたすら探す自分がいた。

母の病、そしてもう命がわずかしかないと知った時、
「もう、死んでもいいよ・・」という思いが噓だったかのように
1日でも長く生きてもらうことしか考えなくなってしまった。

膝の故障はレッスンに支障もでてしまっていたが、
何とかごまかし、しのぐ・・・。
幸いにも、生徒様は優しい方ばかりなのには救われる。

生徒様に母の話をすると泣いてしまいそうなので
感情のコントロールができるようになるまでは母の話は
避けよう・・・と思った。

なるだけ母と一緒に食事をするようにしたり、母が手伝い行ってくれて
いた教室の雑務も私がやるようになった。

母の病状次第では、泊まり込みをする日々もいずれやってくるだろう。
私は現在、車で5~6分のところに主人と居住してしている。

お蔭様で、昨年施設入所した父親は元気で、
最近ではレクレーションを楽しまれ笑顔も見れるようになったとの
報告が施設からあった。

そう、ここ数年父親の通院や救急対応に介護・・
結果的に昨年施設へ入所したという・・。

私はここ数年、ヨガ事業と親の介護やサポートで
スケジュールを綱渡りのように歩いてきた。

その間、ここ3年位、母はずっと咳をしていたし・・・
母の肺はまずいことになってるのではないかという
懸念はありながらも、父の対応に明け暮れていた。

来週、父と面会する予約をとった。
オンラインでなくやっと直接会うことができるのだ。
その時に、母の病気を話そうと思う・・・。

父は落胆するだろうか・・・どうなんだろう。
でも、言わないわけにはいかない。

母が亡くなるまでの間に、母と父が心の交流を
もう一度深めてもらいたいという願いが
私は捨てきれない・・・。

父の面会の様子はまた綴りたいと思います。

冒頭の写真は今年の1月に宝塚市の清荒神へ
お参りに行った時の母。
病気のことがわからず・・無理をさせてしまったが、
階段で息があがる母を見て、
これが最後の清荒神だな・・・とは思っていた。


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