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追い風に気づくのは難しい

サイクリング、その中でも自転車に荷物を積んで野宿しながら野山を巡る旅が私の好きな趣味のひとつだった。
(最近はご無沙汰してしまっている)

2016年 夏季乗鞍岳
2018年 厳冬期北海道

自転車で旅をしている間は、贅沢な時間の流れがそこにある。
それ故にいろいろなことを思い巡らす。

そんな旅の中で考え、今も大切にしている考えのうちの1つについて書いていきたい。

「追い風に気づくのは難しい」

向かい風

ペダルを漕ぐ。風が強く吹いている。
なかなか思うように進まない。
そんな日もある。

前に進みながらも雑念が湧いてくる。

「向かい風がつらい。もう少し弱くなってくれればいいのに」

自分にとって都合の悪い環境には敏感になる。
速度を上げようともがくほどに、容赦なく吹き付ける風の抵抗は強くなってゆく。
抵抗が強まるほどに、向かい風の存在を強く意識してしまう。

追い風

追い風が吹いたときはどうだろうか?

「今日は脚が軽い。調子がいいのかもしれない」

身勝手極まりないが、あたかも自分の実力によるものであるかのように錯覚してしまう。

追い風には気づきにくい。
ある程度スピードが乗り、風の速さと並ぶと無風であるかのように感じられるのだ。

2020年 秋季雲仙 追い風なら上り坂も楽々

追い風を「当たり前のことだ」と思い始めると悲惨だ。
自覚しなければ、背中を押してもらっていることを忘れてしまう。
自分の実力を実際よりも大きく見積ってしまう。

ふと立ち止まったときに、吹いていた風の強さにハッとすることがある。

立ち止まって客観視してみる

「自分はこれだけのことが出来ているから偉い」

時に傲慢にもそう思ってしまうことがある。
そんなときは立ち止まって、考えてみたい。

「追い風が吹いていないだろうか」

自分が当たり前だと思っていたことは、他の人にとっても当たり前だとは限らない。
うまくいっている時、置かれた環境が有難いものだったのだと気づくことで傲慢さは影を潜め、感謝の気持ちが自然と溢れ、失われていた謙虚さが顔を覗かせる。

追い風に気づくのは難しいからこそ、たまには進むのをやめて立ち止まり、風を感じてみるといいかもしれない。

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