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母を看取ってから1年。

昨年の8月13日、母が亡くなった。
乳がんによる約6年間の闘病の末、家族(と犬)に見守られながら、51歳でその生涯に幕を閉じました。

まだ全然立ち直れていないし、買い物中や電車に乗っているとき、突然涙が止まらなくなることもあるけれど、あれから1年。
今思っていること、そして大切にしている言葉をここに記します。

母らしい、最期のとき。

昨年7月の終わりから自宅で療養していた母。
容態が悪化したのは、8月12日の夜10時くらいでした。
後述しますが、Instagramで見た「キクチさん」のマンガで「死の前兆」を理解していたので、その時が来た、ということはなんとなくわかっていました。

産声と死に際

苦しみながらも「フー、フー、」と呼吸を続ける母の姿は本当に勇ましく、最期まで私の前では「威厳のある母」でいてくれたんだなと思っています。
父が「お母さん、みんなに応援されて、お産のときを思い出してたんじゃないかな。」と言っていて、命が「誕生するとき」と「終わるとき」は似ているのかな、と感じたことを覚えています。

「もうすぐ母の日なので、各自3000円ずつください。私が好きなものを買ってきますので!」と言っていた効率重視…だけど実は寂しがり屋の母。
8月13日、みんなが集まりやすいお盆を命日に選ぶあたり母らしいなあと思います笑

葬儀は亜希子(母)プロデュース

「想像を超える行動力」母の尊敬すべきところのひとつです。
葬儀場の見積もり、会場選び、葬儀に飾る花、当日流す曲リスト、お別れの言葉を読む人(私)…すべて生前、母が考えました。

人が亡くなると、葬儀の準備や気配りで、家族はしばらく悲しむ暇がありません。「面倒なことは先に片付けとくから、私のことに集中してよ!」と言ってくれている気がしました。

昔から用意周到の母による、ありったけの愛に支えられながら、なんとかやりきった葬儀のあとに、参列してくれた高校の同級生から「こんな言い方あれやけど、今まで出た葬儀の中で1番いい式だった!」とメッセージが来て、心の中で母とハイタッチしました。

母の口癖ってなんだったっけ?

葬儀場のスタッフの方に「生前お母様がよく言われていた"口癖"のようなものはありますか?」と聞かれました。
そう言われるとすぐには出てこず…「部屋を片付けなさい」とか「早くお風呂に入りなさい」とか生活感のあるお叱り言葉しか浮かばなかったため、
一旦保留にさせていただきました。
そして一晩、母の顔と話している姿を思い出しながら、脳内で統計をとった結果、第一位に選ばれた言葉…それは私の名前でした。
「めいちゃん、めいちゃん」と家でも電話でもLINEでも毎日のように呼んでくれたこの名前。幸いなことに、生涯付き合っていく「母の形見」となりました。

昔、母から聞いた「芽衣」の由来

※このエピソードを手紙に書きとめ、葬儀の「別れの言葉」としてもお話したのですが肝心の手紙を棺に入れ忘れました…。後日私のバッグから手紙が出てきて、「アッヤベッ…」と思いましたが、「めいちゃん、この話忘れないでよ。」と母が手元に残してくれたのかなとポジティブ変換することにしました。

母の死後、支えてくれた言葉たち

「母を看取る」そして「母のいない人生を過ごす」。これまでに経験したことのない悲しみや喪失感が今でも続いています。自分の言葉では表現しがたい、言い切ってしまうのが怖い、と思っているなかで、私の考えにとても近いと思った表現を目にしましたのでご紹介します。

大切な「その人」を思い出す方法

13歳になる直前の5月、私は家族を亡くした。
別れ以降、心配だった。
大人になるにつれて、その人の口癖やしぐさ、愛情などを
忘れてしまうのではないか、と。

写真を見て顔は思い出せるけれど、
写真に収められないものはどうなってしまうのだろう。

だが、至るところに「思い出す方法」はあふれていた。

私の横顔やオチがなくくだらない話をするところは、
その人に似ているらしい。

家族は、私を通して、その人を思い出すようだ。
私も、自分自身によって、その人を思い出せる。

その人が亡くなる時、私の口から出たのは「大好き」という言葉だった。
「会いたい」と思うのは、その人と過ごした日々が幸せだったからだ。

つまり、その人を思い出したいと思うことそのものが、
「愛されていた」ことを思い出す方法なのだと気づいた。

私に多くのことを考えさせてくれたその人。
父をもう直接感じることはできないが、一生忘れることはないだろう。

國井さんの記事 全文

旧Twitter(現 X)で紹介されていたとある新聞記事です。
たった13歳の子がこんなに自分の気持ちを表現して、これからの生き方に希望を見いだせるのかと感銘を受けたのを覚えていて、
母が亡くなってから改めて読み直しました。
家族にはそれぞれ母に似ているところがあって、いろんな人と母とのエピソードを交換しています。その度に「思い出し合っている」なあと温かい気持ちになります。思い出したい、と思うことこそが母への現在進行系の愛情表現。國井さん、大切なことを教えてくれてありがとう。

私の生き様が、母の形見。

次に、Instagramでエッセイ漫画を投稿されている「キクチさん」が紹介されていた言葉です。この方も私と同様、20代でお母様を看取った経験があり、当時の状況をマンガにして伝えてくれています。病気は違うとはいえど、私の母と状況がとても似ていて、昨年はこの方のマンガに励まされ、現実と向き合い覚悟を持つきっかけをくれました。

時折鏡にうつる自分の顔に、
なにげない口調や仕草の中に、
おかあさんの面影を見つけるたびに、
自分が生きていること自体が
おかあさんの形見だなと思うことがあります。

吉川景都 / さよならわたしのおかあさん

親戚に「お母さんに声がそっくりね」と言われると嬉しいし、恋人に母の昔の写真を見せると「めいちゃんと似てる…!」と言われてニヤニヤしました。私の書く文字が母に似てどんどん丸くなっていることに気づいたときには「いいぞ!もっと書こう!」と思ったし、昨日の夜、家族で外食したときにワインをこっそり店員さんに追加で頼む姿を見て父に「どんどんお母さんに似ていってるよ…」といわれて酔いが回りました。そのくらい、母に似てるといわれるのは褒め言葉だし、私の中で母が生きていることが何よりも嬉しいと思うのです。

迷ったときに一番最初に思い出すひと

宇多田ヒカルの「道」という曲。
何気なく歌詞に注目して聴いてみたら、完全に「母の曲」で。
博多から大分に向かうソニックの中でひとり大号泣したので紹介しますね。
宇多田さんのお母様に贈る曲だったみたい。

黒い波の向こうに朝の気配がする
消えない星が私の胸に輝き出す

悲しい歌もいつか懐かしい歌になる
見えない傷が私の魂彩る

転んでも起き上がる
迷ったら立ち止まる
そして問う あなたならこんな時どうする

私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も

一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった


It's a lonely road
But I'm not alone
そんな気分

調子に乗ってた時期もあると思います
人は皆生きてるんじゃなく生かされてる

目に見えるものだけを
信じてはいけないよ
人生の岐路に立つ標識は在りゃせぬ

どんなことをして誰といても
この身はあなたと共にある

一人で歩まねばならぬ道でも
あなたの声が聞こえる

It's a lonely road
You are every song

これは事実

私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も

どこへ続くかまだ分からぬ道でも
きっとそこにあなたがいる


It's a lonely road
But I'm not alone

そんな気分

道 / 宇多田ヒカル

最近「新たな挑戦の場を自分の力で切り開きたい」と思って転職を試み、「言葉」を扱う仕事を選び、なおかつ「世界で通用するアイデア」を生み出したいという意思を持って働きたいと思い、東京進出を決意しました。
自分がこんな決断を、行動をできるとは思っていなくて、母の影響もあるんだと確信しています。かつて通訳として世界を飛び回っていた母のように、「言葉」で世界を動かせる人になりたい。
この思いはこれからもブレない、私の大切な目標です。
でもこれは母の人生ではなく、私の人生なので、
母の声はアドバイスとして受け取りながら、私らしく進んでいきたいと思っております!

これから、母にも届く声量で、ますます良い言葉を発信できるように精進してまいりますので見守っていただけますと幸いです!!!!!!!!
P.S. 今年は初盆なので、長崎らしく、爆竹で盛大に、精霊船 亜希子丸を送り出します!(表紙のやつ)


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