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受験で落ちてむしろよかったかもという話

私は大学受験に失敗した。

第一志望の大学・学科に落ちたのだ。旧帝大。負け惜しみではないが、それまでの模試ではずっとSもしくはA判定だった。落ちることなんて心配していなかった。自分も、親も、先生も。

将来、何をしたいかなんて具体的に決まっていなかった。理科が好き、科学が好き、小学校の頃の将来の夢は宇宙飛行士。視力の問題で宇宙飛行士は諦めたが、そんな私が選んだのは理系、それも研究室にこもって計算や実験を繰り返すと言うよりは、ある程度、自然と触れ合いながら勉強できることを期待して、農学部だった。別に農業や生命について特にこだわりがあったわけではない。言ってしまえば、「なんとなく」である。

そんなわけで、第一志望、前期試験はとある旧帝大の農学部に申し込んだ。前期で落ちるつもりはなかったが、万が一落ちた場合でも浪人はしたくないとの思いから、後期試験は地元の国立大学、理工学部の中で最も募集人員が多い「地球環境学科」に申し込んだ。自然と触れ合う、という希望はここでは反映されていない。もし後期試験の募集人員が理工学部の中で最も多いのが数学科だったら、数学科に申し込んでいただろう。つまり、後期試験でこの学科を選んだのは、全くの偶然だったのだ。

結果、前期試験では、得意だった物理で大失点して不合格。問題の相性が悪かった、と言うのは言い訳だ。正直に言おう。A判定にあぐらをかいて、受験生で1番大事な追い込みの時期に、勉強をサボっていた。そのせいだ。たぶん。

スラムダンク、翔陽の長谷川一志の言葉が頭に浮かぶ。

「大学受験をナメるなよ」

今ではその言葉が耳に痛い。そう、私は大学受験をナメていた。それまでの成績にあぐらをかいていた。中学受験も高校受験も、それなりの学校に難なく合格した。挫折など一度もしていない私は、大学受験もおそらく失敗しないだろうとたかを括っていたのだ。悪い意味で、自分に自信があった。

私が大学受験でMVPになるほど優秀だったとは思わないが、少なくともセンター試験まではそれなりの順位でいたのではと、勝手に思っている。しかし、センター試験でおおよそ想定通りの得点を獲得してから、私は油断していたのだ。その結果、あと一歩のところで合格ラインから外れ、地元の国立大学の後期試験を受験することとなった。

前期で落ちるつもりが全くなかった私にとって、後期試験で合格できるかどうかは大変重要な問題であった。万が一でも浪人はしたくないとのことで、募集人員が最も多い学科に申し込んでおいた私の人生は、すでに「万が一」の事態に突入している。全く安心できないどころか、後期試験のための赤本を見ていないどころか、持ってすらいない、過去問を解いたこともみたこともないという状態であった。

不合格を知って落胆した私は、すぐ本屋へ行き、後期試験のための赤本(過去問)を購入した。帰宅してすぐ過去問に取り掛かった私は、さらに落胆することになる。なんと過去3年分の過去問を、ほとんど全問正解でその日のうちに終えてしまったのだ。

なんということだ。おれが高校で頑張って勉強した3年間は、無駄になってしまった。後半で少し油断し、勉強をサボりがちだったばかりに、おれは大学受験で失敗してしまった。大学で過ごすはずだった4年間をフイにしてしまった。

誇張でもなんでもなく、当時の私は本気でそう思っていた。今思い返せば愚かな思考だったが、そう考えてしまうのも無理はない。ほとんと順風満帆に過ごしていた高校3年間が、後半1、2か月で無駄になってしまったような、さらには大学で得られるはずだった、その後の人生で得られる大半を失ってしまったような、そんな感覚だった。

もう後がない。もう失敗できないと急に危機感に襲われた私は猛勉強をし、後期試験はトップの成績で合格し、念願叶って(?)、私は地元の国立大学に入学したのである。

授業のレベルは、最初は物足りないと感じていた。だが、たまたま地震予知の本を読み始めていたのと、地震学の講義を受けはじめた時期がちょうど一致して、私は地震に興味を持つようになった。

自ら興味を持った講義については、やはり飲み込みも早かった。講義を担当されていた先生の講義は、講義資料やスライドをわかりやすく作り込むタイプではなかったが、それ故か、どうやら私の得点は周囲に比べて良かったようである。「興味があるなら、僕の研究室に来ないか」と教授からお声をかけていただいたのは、それもまた偶然である。

また、1番の偶然は、そのタイミングで東北地方太平洋沖地震が発生したことである。忘れもしない、2011年3月11日。14:46。未曾有の大地震が発生して、約2万人の方が死亡もしくはいまだに行方不明である。のちに「地震学の敗北」とも言われるこの地震が、ちょうど地震学を勉強中の身で経験したことは、私の人生に大きな影響を与えた。

地震学が地震被害を減らし、人間社会のためになると信じきっていた身には、この地震は衝撃的すぎた。一般の人向けに分かりやすく、厳密さを欠いて出された情報はかえって誤解を招いた。「南海トラフ沿いの大地震がいつ起きてもおかしくない」と繰り返され、「東北沖ではマグニチュード7クラスの地震が領域ごとに発生し、マグニチュード9クラスの地震は起こりにくい」とされた国の地震評価を信じた国民は、見事に裏切られることとなった。

多くの専門家が反省する中で、私の指導教官だった教授も例に漏れず、反省の言葉を残していた。定年間際だった先生は、「考えが及ばなかったなあ」と大変後悔されていた。その言葉が、私の中でとても印象に残っている。

それらの状況は、元を辿れば大学受験で第一志望の大学を落ちて、後期試験で地元の大学に入学したことに端を発している。それがなければ、私は地震学の世界に入ることはなかったし、今の就職先で働いていることもなかっただろう。

結果的には、それでよかったと思うのだ。もちろん、第一志望の大学に頑張って勉強して合格していれば、それはそれで素晴らしい人生となったのだろうが、これはこれで、捨てたものではない人生となった。今の奥さんと結婚し、息子が生まれたのも、そのおかげだ。十分幸せな人生ではないか。

そう、思えるようになった。

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