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「恩」という名の借金を負う日本人 『菊と刀』

正直この本を手に取ったのはあまりにもかっこいいタイトルと著者の名前に惹かれたかである。

本書はアメリカの人類学者ルース・ベネディクトが日本の敗戦後に手掛けた
「日本人」の文化や歴史を如実に分析したエスノグラフィー(民族誌)である。この本の面白いところは著者が日本に訪れずに、在米の日本人へのインタビューや文献調査などを元に執筆されていることだ。
本来人類学者とフィールドワークは一蓮托生であり、調査者の鋭い視点からフィールドを普遍的に観察することで初めて民族誌は完成される。
にもかかわらず、ベネディクトはそれを日本に行かずに敢行したのだ。
だが、その洞察と知見はあまりにも鋭利で、読んでいて思わず感嘆の声をこぼしてしまうことがあった。

そこで、今回は本書の鍵となった
①恩
②義理
③恥
の概念3つに分けて解説していきたいと思う。

ここでは私の印象に強く残った「恩」について解説していく

「恩」とは何か

最近無性に親子丼が食べたくなったが冷蔵庫を覗いてみると卵がなかった。学生寮のキッチンに行くと友人が卵をちょうど使っていて、どうしても親子丼食べたかった私は「卵...2...いや1個くれない?」と申し訳なく懇願した。
皆さんも何か施しを受けるときに申し訳なさを感じるのではないだろうか?

ベネディクトはこれを日本人の「恩」という概念を用いて解説している。
ベネディクト曰く、日本人は
「あまりよく知らない人から思いがけず親切句を施しもらうことは、この上なく嫌われる」
その理由は我々が「恩」の煩雑さを知っているからだという。

例えば街中で落とし物をしてしまった所を想像して欲しい。知らない人に拾ってもらったら恐らく感謝ではなく「すみません」と言う人が多いのではないだろうか。
なぜ感謝の意を示す代わりに謝罪の意を示すのだろうか?
ベネディクトは「すみません」という言葉には「あなたから恩を受けましたが、現代の経済の仕組みの中では、恩返しをすることができません。このような立場にいることを心苦しく思います」ということを含んでいるのだと言う。
この様に、我々は常に誰かから恩を受けることを億劫に感じている。さらに、恩は借金の様に我々に課せられ、その借金を返さなければならないという義務感に苛まれるのだ。つまり、私が卵をもらうことに対し申し訳ないと感じたのは、その恩に値するものを返すことが出来ないかもしれないと感じたからだ。

ベネディクトの言う通り恩と日本人は根深く結びつけられている様に思う。例えば鶴の恩返し、浦島太郎の亀、桃太郎の動物家来たち。
我々は受けた恩は必ず返さなければならないことが子供の頃から示されている。きっと、我々は誰かを助けるときに、「恩返し」されることを期待し、助けられたときに「恩を返さないと」という思いに苛まれてしまうのだ。

日本人は常に「恩」を施す/受けることよって人々の関係が保たれ、
恩を「返す」ことで関係の清算をしているのかもしれない。

皆さんはどう思いますか?普段誰かから何か施されたりすると申し訳ないと感じますか?恩を誰に対し最も感じますか?

私が面白いと感じたのは我々は受けた恩を大体「このぐらいの価値だろうと判断できると言うことだ。友達に簡単な宿題を代わりにやってもらったらどうやって感謝する?と聞いた所、ほとんどの人が「ジュース一本」や「お菓子」と答えていた。
これは、「宿題をやってもらうこと」=「ジュース一本程度」の価値だと何故か換算する能力を身につけている証拠である。この恩へ対する共通認識こそが我々日本人文化の根幹の一部なのかもしれない。

ベネディクトはここからさらに、日本人の「義理」と「恥」という2つの概念に「恩」をリンクさせ、本書を展開させていくのだが、長くなってしまうのでまた次回書いていこうと思う。

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