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ほがらか読書会;アーリ「未来予測と想像の社会学」

今回ご一緒する松原さんのFacebookの投稿からの引用です。

引用一

今、緊急事態宣言がいったんは終結し、しかし、まだコロナ禍からの出口は見えていません。第二波の到来が世界中で懸念される一方、ロックダウンをはじめとする政策の是非も、大きな議論となっています。

今回、読書会で取り上げるのは、イギリスの現代社会学者アーリの『未来像の未来』。
まさに、コロナ禍の今日にふさわしい一冊です。

アーリは序文で書いています。
「未来については、技術決定論が幅を利かせ、社会科学がまともに取り扱ってこなかった。しかし、国家や企業、技術者に委ねてすむ問題ではない。さまざまな“社会的未来像”が、現在の人々の生活を決定づけている。そして今、多くの人々が、より良きそれを求めている。未来像を予測するのに適した理論や研究は、社会科学にも数多く存在する。われわれは、それらを検証し、再び“社会的未来像”を展開させなくてはならない。」


さて、この論点。なんだか、毎日、メディアで見ていることとオーバーラップしませんか?
未来については、疫学シミュレーションが幅を利かせ、かといってまともにどうやって議論すればいいのかが分からない。一方で、国家や企業は、経済の視点から、政治的にコロナ禍への対応を主張し始めている。未来予測、つまり、疫学シミュレーションがもたらすパンデミックの危機と、経済重視派が提起する経済崩壊による危機という2つの「未来像」の間で、私たちは、どう対応していけるのかで、多くの人が日々不安を感じています。


「未来像」は、今や、私たちの生活を根底から変えていくパワーを持つ存在となってきています。
このような「未来像」のバトルを、政府や企業や技術者だけに委ねているだけでいいのでしょうか?
私たちは、「未来像の民主化」という課題を、もっと意識的に考えていくべきではないでしょうか?
アーリの提起を受けて、「未来像」を扱う技術について、議論してみたいと思います。
オンライン開催なので、ご関心のある方はぜひ。

引用終わり

私もほぼ同感なのです。特に社会を扱ってきた社会学者の元気のなさが気になります。今回は、基本、本は読んでこなくても構いません。細川と松原さんとでそこのところはひきうけます。ご参加の方には、社会のこれからのあり方を測定する仕方はなにかということを感じてきていただければ幸いです。

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