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『もの思う種』

私はツーリング中に拾いものをする。それは種だ。じっさいにある植物の種のことではない。景色の種。排気音の種。ま夏の種。ま冬の種。町の営みの種。すれちがうオートバイの種。キャリーケースの美女の種。草むしりする老婆の種。途方もない数の種を拾う。そして、私は途方に暮れる。

それらはぜんぶ、私の『もの思う種』だ。見つけて拾うたびに頭の中でパチパチ爆ぜる。脳の『もの思う』一点を狙って爆ぜる。やがてそれは私のことばになることもあればならないこともある。種だ。どこに捨ててもいいだろう。どこかで芽をだす。
昨日から、『走りっぱなしのせいのほう』の異名を自分でつけた。「恥ずかしいだろう」と、私は私をつついている。『もの思う種』が爆ぜた結果だ。それもまた良し。

「書くということは野蛮で図々しいことなのだから」と、私は私を慰める。
この言葉は私のものではない。NHKのアーカイブス放送で見た、文人二人の会話の大胆な要約だ。ほろ酔いの井伏鱒二と開高健が居酒屋(小料理屋かも)で語り合うドキュメンタリーだった。場所は荻窪だ。
「書くということは野蛮」が井伏鱒二で、「図々しくならなきゃいけない」が開高健だったと思う。それを私が勝手につなげて「書くということは野蛮で図々しいことなのだから」とした。

私はこの言葉から『もの思う種』を拾った。そして爆ぜた。そういえば私は「書きたい」者であったではないかと思い出した。今夏、10年ぶりに「書いて」いるのはそういうわけだ。丁度いい案配にnoteがあり、すぐに飛び込んだ。
ただ、「書くということは野蛮で図々しいことなのだから」という、私の頭の中で爆ぜた言葉はすこしむず痒くてすわりも悪い。私の尻が羽根をのばせる座布団ではない。僭越ながらこれに私ごときが手を加えたい。言葉を付け足したい。

私は、「書くということは野蛮で図々しくてくだらないものなのだから」と改変したい。私はこの座布団で居眠りしたい。ああ、ぬくぬくするではないか。


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