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小説『空生講徒然雲23』

「まだ、先のことですが、狐の嫁入りの縄張りに入ったら、私が拾ってきた面を被ってもらいます」
「拾って、きたんですか?」
「はい、私の地元にある、胃の世界の川で一年分拾ってきました」
私は、もう、シマさんとの会話では、胃と小腸と肛門で例えることに決めている。後戻りはできない。
「胃の世界の川といっても、胃液ではありません」
「はい、それはどうもご丁寧に」
私はもの思う種の世界の面祭りの概要をシマさんに話した。なぜか面祭りの日には決まって東よりの突風が吹く。いくつもの面が飛ばされて、誰かが被った面がぷかぷか川面に浮いているのだ。それを私が腰まで川につかりながら泥だらけになって拾う。
それを聴いたシマさんはたっぷり時間をつかって、こういった。「誰かが被った。泥だらけの面。胃液の川」、私の目をじっと離さず、言い含めるように、わざと最後に間違いを入れて。
私の眼前には、シマさんの指が3本たっていた。
私はシマさんの指をひとつ「胃液の川」のぶんを折りたたむ。そのつもりが、3本の指は私の想像を超えて頑なだった。
「潔癖性ですか」
「です」
「被れそうも──」
「なァい」、シマさんは私の言葉を遮りきっぱり言い切った。晴れ晴れするようなさわやかな言い方だった。
「被らないとどうなります?」
「胃の出口と小腸の入り口にもよりますが、シマさんの失われた記憶がもどります」
「それだけなら」
「あと、痛みも。腕がもげた者は腕がもげた痛みと記憶が。首がとんだ者もまた、痛みと記憶が。胃と小腸が破裂した者もまた、胃の世界の出口の記憶と痛みが戻ります。ぱーんとした破裂音も」
私は説明しながら、今度から胃の世界のことを『異世界』みたいな言い方で胃世界と言おうと思っていた。なぜ、千日間も気づかなかったのか、私は。ぼんやりした御師だ。小腸の世界だって、『象徴世界』でいけそうだ。大腸はどうだろう。『大超世界』『大蝶世界』『大弔世界』『大寵世界』、些か苦しいかもしれない。それは、あとでじっくり考える事にしよう。と、私はニヤリとしてしまった。これはいけない。マッドサイエンティストの顔だ。ばれる。私は能面の顔をしたようなユーモラスな御師だ。私はそんな私を了解している。
「ようは、狐の嫁入りを邪魔しなければいいんです。面を被ることによって私たち空生講徒然雲の気配が消せればいいのです」
私は鉄塔の下の樹木を指さして、「大きめの葉っぱに目と鼻と口に穴でも開ければいいんですよ。それなら──」
「なァい」、私はふたたびシマさんに制された。「セイセイセーイ」と。
「汚い。アタシ。アレルギー。ある。無理。」と、片言の日本語がシマさんの口から漏れた。追い詰められて言語を司る機能がショートしたロボットのようだった。息も切れている。
「落ち着きましょう。シマさんは冬場に備えた防寒装備を持っていませんか、例えばそのシマさんのシートバックのなかに、ニット帽とか」
青猫タルトとヤマハSR400がいっせいに啼いた。
「タンッタタン、みやおう、タンッタタン、みやおう」
シマさんは、ヤマハSR400のダブルシートの後部のシートバッグから、黒いストレッチの利いた布を取り出した。
「わお」、シマさんはバイク用のバラクラマを被って私に見せてくれた。
目だけ出るタイプのバラクラマだった。
テロリストみたいだった。
「いつのまに、入れたっけな」、シマさんはそう言って、寒くなって来たから暫く被ったままでいるそうだ。更に、バッグからモーターサイクルコートを取り出して着始めた。全身がまっ黒になった。
いよいよ、テロリストみたいだった。
「ところで、さっきから鉄塔の下で首にロープが巻かれたおじ様が手を振っています」
「ああ、あの者の姿が見えましたか」
「はい、先ほどは練馬で頭に包丁が刺さった反社会的な風貌の大男も見ました」
確かに、五十がらみのおじ様がいる。苦しそうに手を振り、手招きし、そして私たちは拝まれている。
「あの者を救うことは出来ません。私はオートバイ専門の御師なのです」
「ひざまずいて泣いているわ」
おじ様はすがるように鉄塔に頭をこすりつけていた。首に食い込んで巻かれたロープはもう千切れそうだ。自死者の『ない者』に間違いない。
「電線の上を走る理由のひとつは、あのような者に会わないためでもあるのです」
地上を走ると至るところで、ない者に出会う。場合によっては取り憑かれてしまう。自死者のない者には、その者にあった成仏の仕方がある。
「せめて、首に食い込んだロープを切れないでしょうか?」
ふう、とため息をした私がどうしたものかと思案しはじめたその刹那だった。
青い陰が「みやっ」と啼いて飛んでいった。宙空の風を身体いっぱいに受け止めてムササビのような青猫が鉄塔の下方へゆらゆら降りてゆく。
「風が読めるのか」、そう言えばシマさんと青猫タルトの出会いも「降ってきた」と言っていたな。鉄塔の下に降り立った青猫タルトは「みやおう、みやおう、みやおう」と3度啼いて、おじ様の首に食い込んだロープを右爪を一閃して切り裂いた。
「何者なんですか青猫タルトは」
「やさしい子。それだけです」
一仕事終えたタルトは、もう鉄塔を上り始めている。ほんとに一瞬の出来事だった。おじ様は首のロープが無くなって、今度は嗚咽をもらしている。
「おいで、タルト。やさしい子」
シマさんの肩に青猫が乗っていた。テロリストと青猫が仲睦まじくすりすりしあっていた。ヤマハSR400と、カワサキW650が「タンッタタン、タンッタタン」「ドッドタリドタリバタリタタリタッタ、ドッドタリドタリバタリタタリタッタ」と歓声をあげていた。
鉄塔の上で、私だけが呆然としていた。が、こうしてはいられない、私は私のできることをしよう。私は、御師として印を結んだ。
「郵便配達員に知らせました。あの者の係に連絡してくれるでしょう」
「よかった」
しかし、あまりにも自死者は多い。オートバイで失われた者の比ではない。いつ係の者が来るのか私には見当もつかなかった。

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