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『うっそ、でーす』

とうとう、割り箸でポテトチップスを食べる者になってしまったな。数年前からだけど。この『グレート•エコエコ時代』に、割り箸でポテトチップスを食べる罪悪感が、私にもすこしはあった。
でも、『割り箸ボテチ食い』のお陰で、コロナ禍を何事もなくやり過ごしてこれた可能性もあるし。そう、弁護してもいいのだが、日常使いの箸のほうで食べていれば文句はつかないのだろう。
でも、箸を洗う水道代があるし。それは水の無駄だしな。間伐材と水資源のどちらを獲るのだ。そういう『グレート•エコエコ時代』の問題だな。難しいな。
手で食うのは、もう、無理だ。ウォシュレットのないトイレに戻れないように。手で食べたって、ウェットティッシュで拭くし。ペロペロなめたってその後水道水で洗うし。もうよくわからない。
ボテトチップスの角のほうを小さく破って、上を向いて飲むように直食いするのがベストなのかな。品がないけど。もっと上品なアイデアがほしい。無重力状態ではどうだろう。これならいけそうだけど、私はイーロンマスクではない。
もうひとつアイデアがうかんだ、新品の掃除機を買ってポテトチップスを吸引させる。その掃除機の尻のフィルターに開閉口をとりつけて吸引の勢いを借りて食べる。その掃除機はポテトチップス専用になるが。
これも、電気代がかかる。これでは『グレート•エコエコ時代』を乗り切れない。これは、人類共通の課題だ。

包装紙はプラスチックごみだ。けれど、汚れカスを取り除かないとプラスチックごみで捨てられない。結局、ウェットティッシュか水道水の世話にならなければならないわけだ。
あ、そうだ。食べきった包装紙を私がぜんぶペロペロすればいいのか。でも、それは綺麗になったと認定できるのか。私の唾液にまみれたポテトチップスの包装紙はプラスチックごみとして扱われるのか心配だ。問題は山積している。
風呂の残り湯は?というアイデアがうかんだが、それはなんとなく無理だ。
『なんとなく無理』を大事にしてこれまで生きてきた私なので、それはなんとなく無理だな。『残り湯作戦』が、いちばんいい方法かもしれないけれど、それは、もう、ほら、あっち側の者みたいな、気がするでしょう。正気の向こう側は見たくないんだ。

インフルエンザもノロウイルスも流行ってるから、取り敢えず『割り箸ポテチ食い』は続行しよう。これを反社会的行為というのかな。活動家に見つかると、この「ハンシャめ」って言われるのかな。noteにも活動家いそうだしな。そうしたら「うっそ、でーす」で乗りきれるかな。このエッセイのタイトルを『うっそ、でーす』にすれば大丈夫だろうか。


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