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心を想うためには読書が必要。

昨日書いたnote。

私にとって「相手の気持ちを想像する」は息をするように当たり前に行うこと。あ、別に世界中の人全員の気持ちを想像せえなんて言ってないし、親、兄弟の気持ちを常に想えなんて言ってませんと先に断っておきます。。

その時、その行為に対して相手を想う。ほんの一部分のことです。

このような気持ちを維持するために私が今も意識してること。それは「本を読むこと」です。現在は動画の時代っしょ何言ってるのって人は「あんたと違ってあたしゃ思考の周りが遅えんだよごめんよ!」と回し蹴りをしながらお返事させて頂きます。

文字を読み、文章として取り入れ、そして意味を理解する。この行為はまさに全身を使う行為であります。何語でもいいし、漫画でもライトノベルでも自己啓発書でもなんでもいいです。自分の読みたい本を「読む」という行為。この行為を全身で行うことで全身の感度が確実に上がるよなって想うのです。

「本」を形にするためには、ただ文章を書くだけでなくすごい経緯が必要です。この経緯を想いながら本を読み、本そのものの存在に対して思いを馳せる。その思いを馳せる行為こそが「行動において自分以外の存在を想う」行為に私はつながると想うのですよね。

近年、本を読む行為が見直されてると感じます。昨年の米国では、図書館訪問のほうが、映画館での映画鑑賞の数よりも多かったという報告も上がっています。

映画などを金銭的な理由で楽しめないなどネガティブな要素も含まれるかもしれません。でも、最初はネガティブでもそこで本を読み出して思いの旅に出て、その旅がめっちゃ面白くてまた図書館へ。。。とかも十分あり得ることでしょう。

人は悩み、悲しみ、そして怒りに震える生き物です。笑顔でチャラチャラしてるだけではありません。同時に常に「想う生き物」でありたい。だから私は今日も本を読むのです。

図書館が舞台のPVっていうとこれを思い出します。