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Bear strikes back but I'm still aliveー20230701ー。 戦いの狼煙が上がった。


なんか予感がしたんだよ。そして予感は大体当たる。

そろそろマジで行った方がいいなって思ったので、少し前に婦人科に行った。2022年8月に本帰国してから婦人科はマジで避けていた。なぜなら9年間の東南アジア生活でずっと疲れ果てていた私の体の確認、乳がん、甲状腺、歯の治療を順番に行っていたからだ。っていうか幾つもいっぺんに行けねえよ。1箇所づつ直さなあかんてっということで1つ1つ治療を行った。それで精一杯だったのだ。あ、そろそろ行かなくちゃ。と思って1ヶ月前ほどに婦人科に行った。

そして息子さんの大学進学のVISAの書類が整い、エージェントが正式提出をしたと聞いた日、私は婦人科で「子宮頸がんの可能性があるので早急に大病院に行ってください。紹介状書きます」と言われた。

うわっ。やっぱ来たか。


しかし今年の7月、8月はマジで忙しい。行くのなら手術は9月と思っていたが先生は「絶対8月に行け」と力説される。力説されるっていうのは行かなきゃやばいってことなのは乳がんの時の経験でわかっている。そう、「お医者さんが行けという場合は理由がある」。

わかりました。

しかし、先生は紹介状は来週に出来ます。取りに来てね。と言う。なんだ、そんなに急じゃないやん。乳がんの時はそのまま精密検査にぶっ込まれたので、少し拍子抜け。

なので来週のビックイベントはそのまま突っ走る。っていうか別に体調普通なんだから走ってええのだ。落ち着いて8月の予定を考え直す。2泊くらいの検査入院ならなんとか出来るのではないかな。なので8月のマレーシア行きを計画してたけど、これは止めた。8月末のカナダ行きはなんとしてでもいきたいけど、息子さんのカナダ行きを見届けられなかったらその時はその時だ。日本で治療できる。そう思えば気持ちは前向きだ。マレーシアでとじこめられた時より環境は確実に改善されているのだから。


乳がん告知を受けたのが約10年前、正直俺の人生終わった!と思った。でも私は結局まだ生きている。そして告知を受けてから「あなたの場合は乳がんの治療の一環で子宮頸がんの併発の可能性がある」と言われていたので正直そこまで驚きはなかった。ロックダウンの際のストレスMAX、メンタルの落ち具合から考えてあの生活ではそりゃあ体調崩すよねえって思うし。


ただ、自分でもとても不思議に感じるのは「癌」と言われた後のこの落ち込み具合は一体何??ってことだ。「死」を連想させるから?おいおい。自分は実際に宣告を受けてから10年生きてきたってのに。自分が「癌=死」ではないってのを自分で証明したのに。なんでまた同じ穴にハマるんだ。

同時にどこかで「宣告された癌の治療が終わったら終わり」とどこかで思っていた節があった自分にも気づく。もう終わったんだから二度とかからないって信じきっていた自分に往復ピンタである。特に私の場合は乳がん宣告午後5年を切り抜けたので尚更である。これは癌に限った話ではないかもしれない。病気になって「治りました」と言われたらもう二度と起きないって思い込むこの感覚は何なのか。どうして学ばないのか。

そして他人の「病気だからこの人には触らんとこ」的な態度にもむかつくし、相手がそう思ってなくてもこちらがそう思ってしまい嫌な態度や言動を取ってしまう自分には更にムカつく、そして色々な感情が渦巻いても自分が我慢すればいいんだ)と思ってしまいそうになる自分にもっともっとムカつく。


ああ、猛烈にムカついてきた。


なので、今回は「癌=死」という概念をぶち壊すような日常をこちらに記録してみようと思う。今、日本では2名に1名は癌にかかる可能性があると言われている。2名に1名。この高確率に該当しないと思い込むな。そして自分だけが不幸だと思うな。考えるな、行動しろ。である。


乳がんの時にはひたすら隠していたけど、今回はオープンで行く。マガジンのタイトルはChat GPTにタイトルを相談して、結果的に「Bear strikes back but I'm still alive」にした。


「厄介な奴に逆襲されてるけど、俺はまだ生きてる」。


冒頭のキャプチャは「戦場で勇敢に戦うおばさん」をAIで自動生成してもらった。こんな古い戦争あるか!って言いたいところだが、今、ウクライナやロシアではこんな感じだと思うと泣けてくる。
みんなしっかり生きていこうぜ。生きてることってすげえことなんだから。