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新美の李禹煥展を訪問して「アクションを起こすことで、アクションしない大切さ」を実感することができた話。


出かけないことの大切さを、出かけて、気づく。


毎日忙しいって動いていると、今度は体が疲れてくる。なので数日は家からでないと今度は心が「行動できる幸せな状況なのに何やってんの!」と焦りにくる。ほんまこの世は難しい。。


この暴れる気持ちを整えるためにということで国立新美術館の李禹煥展へ親子で出かけることにした。李禹煥展は静かな状態で鑑賞すべきだ、アートナイトの雑踏の中で鑑賞するものではない!ということで今日、開館時と同時にチェックイン。久々に新美にゆったりした気持ちでの訪問に泣きそうなのは私だけ。「お土産」とか考えないでここに来るのは9年ぶりなのかと思うと感慨深い。


今週末が六本木アートナイト。

新美内のアートナイト展示もあった。


李禹煥の作品を鑑賞する機会は私の場合は葉山の神奈川県立近代美術館、直島の李禹煥美術館など「ホワイトキューブではない場所」が多かった。

ちなみに神奈川県立近代美術館李禹煥の作品を多くコレクションしていて、その多くをサイトで見ることができるのでぜひみてほしい。


もの派というのは自然という「ものが最大限に活きた場所」でこそ活きると思っていた。
だって、葉山も直島も素晴らしかったから。なので、どうかなっていう気持ちもあった。
クリスチャン・ボルタンスキーの際にも同じことを感じたのだけど、生物的な意識を感じる場合、ホワイトキューブでは生物的な意識が飛んでしまうのではないかと思っていた。


そして李禹煥先生である。私自身どこまで理解できるかな、楽しめるといいいなという感じで出向いたのだけど。。


これは今の私に絶対必要な展覧会だった。本当に行って良かった。


ものの見方というのはその時のコンディションで変わる。私も息子も、正直今、余裕がない。新しい環境にどのように自分をアジャストしていくか、そしてそもそも新しい環境がどういうものかを模索している最中でもある。正直、とても、辛い。

この辛さの理由が、今日この展覧会の空間に身を委ねて理解できた気がする。それは「空間把握ができてないので自分の中の余白がわからない」からだったのだ。


余白。余白の大切さをここまで体感できる展覧会も珍しい。


李禹煥の作品を最初に拝見すると「そこにあるだけじゃん」と思う人は正直多いと思う。そう、モノ派というのは「そこにある」。そこから始まるというか、そこだけ。そこから何をどう感じるかは、その人が感じる余白というか感じる気力があるかどうかにかかっている。


「この絵は○○のように見える」。そこから始まるのだろうけど、その次の段階として「ここに存在してるモノと自分」という関係性そのものに立ち返る、そしてその立ち返ってる自分も含めてその空間そのものを感じる段階まできた時に

「余白」を実感できる。余白がそこに存在してる意味と意義を。

李禹煥「 Correspondance」神奈川県立近代美術館所蔵作品ページより引用


屋外作品は写真撮影可能でした。

屋外作品はこの季節、夏から秋、初冬にかける変化を感じることが出来そう。その際に感じる余白は今回の感じ方と明らかに変わるだろう。


11月、私はどんな感じ方をしてるのだろう。


中谷美紀さんの音声ガイドも素晴らしかった。今回は音声ガイドは貸し出しではなく、スマートフォンでQRコードを読み取ってそこから聴くというスタイル。(3時間は聴けるらしい。つまり、この展覧会に3時間かける人がいると想定してるってことだ)。この展覧会に行く際は絶対にスマートフォンとイヤホンを忘れずに持っていってほしい。普段は音声ガイド好きではない私でも聞き込んでしまう内容であった。


この展覧会では余白と空気の大切さを再確認できる。生活に時間の、気持ちの余裕が感じられない人こそ絶対に行くべき展覧会。自分ももう数回行こうと思う。後図録が重すぎだったので今回は断念。買うけど、買うけど、出来れば軽い図録も作ってほしい。


アクションを起こしたことで、アクションしない余白の時間の大切さを実感することができた。また、アクションしない時の大切さを体感するために出かけるというアクションを起こそうと思う。



追伸:感動の余韻に浸りながら展覧会を後にした際、1階のオープンカフェで白髪の男性がコーヒーを飲んでおられた。サングラスなのでお顔はわからず。なので、展覧会から出てきた民の多くが一瞬「李禹煥?」と一瞬止まるのが面白かった(もちろん私も止まった)。

もしかして。。という気持ちもあったけど、確認するほど野暮ではない。その場をゆったりと去り、気持ちよく六本木を散歩する。今の私に目の前の何もない時間が余白として心地よく包み込んでくれている、この時間を楽しむ。皆、そんな感じで会場を後にしていた。


ぜひ足を運んでほしい。オススメです。