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第8回横浜トリエンナーレに行ってきた③ー国際芸術「祭」を日本語話者として日本で体験する楽しさと違和感、その感覚の回収方法についてー


日本語って難しくて面倒くさくて愛おしいですね。


今回の横浜トリエンナーレは、横浜市民パスを購入したので何回も出かけています。

最近は初めて行く方とご一緒することもありとても楽しいです。ちなみに今回は周遊バスがないんですよ(以前はあった記憶)。なのでご一緒する方が初めての場合はこんなルートで回ってます。

横浜美術館集合→みなとみらい線で新高島駅へ→Bank Art Station(新高島駅直結)→横浜駅東口まで歩く→横浜駅から京急で黄金町へ→黄金町バザール(ここでお昼ご飯)→阪東橋まで歩いて市営地下鉄で桜木町駅で下車→第一銀行後&Bank Art Kaiko鑑賞を終了→馬車道周辺で美味しいもので夕食

そして、私は黄金町をお昼に選択するのは大きな理由があるのです。それは安部 泰輔さんの展示「第6章 安部泰輔「黄金森」+ショップ」を心身に余裕がある時に訪れてほしいから。

第8回横浜トリエンナーレは3月31日の時点で会場は4箇所、と捉えていいかと思います(4月1日以降増えます)。
横浜美術館、Bank Art Statioin 、旧第一銀行横浜支店&Bank Art KAIKO、そして黄金町バザール。

黄金町バザールのタイトル「世界のすべてがアートで出来てる訳ではない」、ほんまにいいと思うんですよね。このタイトルが「黄金町」から発信されているのが特に、いい。美術業界に限った話ではありませんが、人は自分の世界が世界全体で一番つよつよと思いがちです。

黄金町のタイトルがなぜいいか、それをわかって頂くには歴史的側面が必要なので少しお付き合いください。私は横浜産まれの横浜育ち。黄金町は私が幼少の頃は「子供、特に女の子は絶対に近寄ってはいけない町」でした。それは本当に近年までとても有名な風俗街だったから。

黄金町駅の改札を出ると「初黄町内会 大岡川桜通り」と掲げられた看板が見えてきます。
通りの入口を行けば、当時「ちょんの間」と呼ばれていたエリアになります。
「ちょんの間」というのは、戦後の混乱期に続出した、全国的に広がった歓楽街にある風俗店のことです。
1棟の建物を幅1間(約1.8m)ほどの間口で複数に区切った建物が並んでいることから由来しています。
かつては、専有面積20㎡ほどの2階建て全てが風俗店です。

この風俗店は、売春防止法施行前の「青線(営業許可されていない売買春街)」に属するものがほとんどでした。
しかし、2005年に行われた、警察の一斉摘発「ばいばい作戦」で青線は消滅しました。

引用:「ちょんの間」と呼ばれる風俗エリアだった黄金町


私世代は正直いまだに「黄金町」と聞くと少し緊張します。黄金町自体にはアートセンターが出来てからは何度か足を運んでいますが、それでも緊張します。やはり、子供の頃からの刷り込みってすごい。
なので、安部さんの展示スペースにきた時とても衝撃を受けました。おおっって。

安部さんはここで基本平日は公開制作をされているそうです。古着から作成された多くの作品はとても暖かく、この中にいるだけで暖かい布団に守られている様な気持ちになります。

私は黄金町に関して荒々しい歓楽街の記憶が強かった。その記憶が今回明らかに上書きされた感がありました。黄金町、何回も行ったことあったのに。なぜだろうなぜかしら。

色々考えてこんな風にロジックが整理されてきました。それは


「私が芸術祭に求めていものはここにあったから」


Triennaleというのは日本語訳になると「芸術祭」。ここに「祭」という言葉が入ります。

みんな大好きウキペディアでは「3年に一度開かれる国際美術展覧会」なのだけど、でも「トリエンナーレ=3年に一度開かれる芸術祭」と訳されることが多いですね。

この「祭」っていう感じが曲者な気がしてきました。

この祭、という漢字は罪作りなもので私はここに祝祭感を求めてしまっていた様です。
でも、でも、Triennaleという概念で考えるとあくまで芸術を通じて現代の社会情勢などを問いかけたり表現したりするものなんですよね。
教えて頂いて知ったのですが、今回横浜Triennaleで使用されいる独特のフォントはドクメンタで使用されたフォントを連想されるそうで。ちなみにドクメンタとは5年に一度行われる現代美術の大型グループ展。

ここにももちろん祭という要素は一歳ありません。

近年ドクメンタはまさに芸術を通じて社会に問いかけをしています。上記のウキペディアにも「あるテーマのもとに現代美術の先端を担う作家を世界中から集めて紹介するという方針で開催」と書いてあります。
そうなると、「第8回横浜トリエンナーレの横浜美術館では祭じゃなくてその問いかけがしたかった」、と考えると横浜美術館の展示内容の重量感がとてもしっくり理解できてきたのです。

では、私が求めていた芸術祭の「祭」感。これはなんだったのか。それはきっと「感覚で戻れる場の体験」だったような気がするんです。


祭って思い出してみると現場からの離脱がありますよね。同時に祭では見たもの(視覚)、聞こえてきたもの(聴覚)だけじゃない。そこで食べたものだけじゃなく、そこで香ってきたもの(嗅覚)、触ったもの(触覚)、そこで味わったもの(味覚)も含まれますよね。そしての五感のどれかで似たものを感じた時、自分の感覚の中にその時の想いが猛烈に帰ってくる。


これが「移動から感じた五感」。これが私の感じる「祭」感なのではないかと。

私は各所の芸術祭にかなり参加してきた方です。その際には日常からの離脱感が必ず伴い、その感覚が私の中で「芸術祭」の「祭」感を補ってくれてたことに気がつきました。そして、今回のトリエンナーレでは私には日常の離脱感がありません。なぜなら現在私は横浜市民だから。そして横浜美術館の展示では五感を感じる余白があまりなかった気がします。祭じゃない、という概念を捉え直せば納得できます。
確かに、余白を感じるには休憩が必要ですが余白を作るための椅子も展示室内にはなかった。

だから寂しいって思ったんだ。だって今までの芸術祭がとても楽しかったから。

一方、黄金町バザールの「安部泰輔さんの「黄金森」で、私は今までの黄金町のイメージをまず視覚的に上書きすることが出来た。そして実際の人形たち拝見し、触り、愛でることができ、そして購入できました。
ぬいぐるみたちは近隣の方々の古着を材料として使用してるとのこと。その古着はいつどこからここに来たのか、私にはわかりません。でも、あの場にあり、安部さんとスタッフさんの手を通じて新たな力を受け取りました。ここで生きてる人たちを感じ、そしてここで生きてる人たちから譲り受けた新たな作品たちに触れて私はここで自分も生きてることを感じることが出来た。そしてその感覚は「またここに戻ってきたい」というスイッチを私の中に宿した様な感じがします。
安部さんとスタッフさんは見にきた鑑賞者の皆さんに「どうぞ触ってください☺️」と声をかけてらっしゃいました。最初は「親切なアナウンス」とだけ思ってたのですが、あれは親切なだけじゃなくて「持って、触って、その触った感覚を持って帰って、そうすればあなたにとって黄金町の概念は上書きされ、そしてここに訪れた体験は変えがえのないものになる」とナビゲートだったのでしょう。


私は1つ猫のバッチを購入しました。彼は私の横トリ鑑賞の相棒になるでしょう。そして私はもう第8回横浜トリエンナーレを見に行った時の「祝祭感を感じられなかった寂しさ」を感じることもないでしょう。なぜなら

「私が芸術祭に求めていたものがある場所を見つけたから」

横浜は日本の開港の舞台となった場所と言われています。私も幼少の頃からここ横浜は国際都市、と言われて育ちました。
しかし私自身が外国での生活を長く送って横浜に帰ってきて、国際都市といってもやはり違うし、その違いを理解すれば違うことを悲しむ必要はないのではないか、という考え方に変わってきました。


私はトリエンナーレじゃなくて、「芸術祭」という言葉で横トリを見てた。だから今回の横浜美術館はとても見応えがあったけど、でも寂しかった。でも他の場所ではちゃんと「祭感」を味わう場所があって、その場所に行けば、そしてその場所から持ち帰れば「ああ楽しかった」と祭感の楽しさを思い出すことが出来た。


芸術祭はこのように開催場所が拡散されてそれぞれの場での発信がある。そのような認識で見ると、超楽しい。なので、この横浜トリエンナーレを楽しむ際にはぜひ間に黄金町バザールの鑑賞を入れてほしい。そうすれば、「すごく考え込むテーマだったけど、なんか寂しかったけど、でも楽しいこともあったな」と感じることが出来ると思います。


今回、とてもありがたいなって感じたのは「寂しかった」だけで終わらなかった点です。私が求めてた「祭感」の場所を作ってくれた安部さんや特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンター、そしてその場所が私が求めていた場所であったとディスカッションで一緒に見つけ出してくれた素晴らしい友に感謝したいと思います。


本当にありがとう。また横トリ行きますし、行きましょうね。