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コロナ禍は「往来」をどう変えたのか。そして今後「往来」は感染症と共にどう変わっていくのかー「六本木クロッシング往来オーライ!」の内覧会に行ってきたー。


「人と実際に会う行為」からさまざまな感情が産まれることを再発見。コロナ禍は今後「往来」をどう変えていくのだろうか。


最近どうも調子が悪い。人混みがとても苦手&人に会うと過度に警戒、または過剰に話してしまい引かれてしまう。ごめんなさい。
人とのコミュニケーションが本当に減ったこの3年。私の中で人との交流、つまり「往来」というのは「流せない重い行為」になった気がする。「往来」とは一体なんなのだろう。外国でロックダウンを経験して孤独に関してはわかったつもりになっていた。引きこもりするしかなかった→引きこもった環境が許されたマレーシアの個独の環境から往来が許される日本に戻ってきた。そこで益々往来がわからなくなった感がある。


帰国して3ヶ月ほどは走り回っていて、自分が何に対して混乱してるのかわからなくなっていた。そういう点では少し落ち着いた今、自分の中での混乱感と向き合わなくてはいけなくなっている。


という状態で久しぶりに森美術館の内覧会に向かった。今回は「六本木クロッシング2022:往来オーライ!」の内覧会だ。



個人的にはずっと応援しているキュンチョメ松田修君が参加しているというだけでももう目頭が熱くなっていた。彼らとはコロナ前から、そしてコロナ禍の中で、そしてコロナ後もずっと往来してきた。

今回のステイトメントを引用(ちょっと長いけど)

長引くコロナ禍により私たちの生活は大きく変化し、これまで見えにくかったさまざまな事象が日本社会の中で顕在化しました。以前はあたりまえのように受け入れていた身近な物事や生活環境を見つめ直すようになったり、共にこの怒涛の時代を生きる隣人たちの存在とその多様さを強く意識するようになりました。そして今後、人流が回復し新たな文化の展開が期待されるなか、あらためて現在の「日本」にはさまざまな民族が共生し、この地に塗り重ねられた歴史や文化が実はすでに色とりどりであることについて、再考が求められるでしょう。その先に私たちはどのような未来を想像し、また共に作っていくことができるのでしょうか。
サブタイトルの「往来オーライ!」には、歴史上、異文化との交流や人の往来が繰り返され、複雑な過去を経て、現在の日本には多様な人・文化が共存しているという事実を再認識しつつ、コロナ禍で途絶えてしまった人々の往来を再び取り戻したい、という思いが込められています。

引用:「六本木クロッシング2022」概要より

ここで注目したいのは「コロナ禍で途絶えてしまった人々の往来を再び取り戻したい」である。私はコロナ禍の時に、日本にいられなかったので日本でのコロナ禍を知らない。なのであくまで想像の範囲で。
日本のコロナ禍では外国からの往来がほぼ途絶え(だから私は帰れなかった)たけど、でも日本国内は移動において過度な規制がかかったようには見えなかった。なので人々の往来が過度に途絶えたようには私には見えなかった。

これは同時に「自分は往来を行う権利を所有してる(でもお願いされてるからしないだけである)」という根底認識があったと私は解釈している。


ここで「往来」の意味を改めて確認。

1 行ったり来たりすること。行き来。「車が激しく―する」
2 人や乗り物が行き来する場所。道路。「―で遊ぶ」
3 互いに行ったり来たりすること。交際。「足しげく―する間柄」
4 感情や考えが、心中に現れたり消えたりすること。去来。
5 手紙などのやりとり。また、往復書簡。
6 書簡文の模範文例集。→往来物
7 「往来物」の略。

デジタル大辞泉「往来」より引用


同時に同義語もチェック。同義語はこのような記載があった。

ソサエティー 付き合い 往き来 お付き合い 交わり

デジタル大辞泉「往来」より引用


つまり、「往来」というのは行き来、お付き合いと考えられる可能性が高いということだ。しかしオンラインではなくリアルの場合は交流は「選択される」という大前提がある。なぜなら体は1つだから、複数の往来が同時進行でできない場合があるからだ。
つまり、往来に「選択」が生まれる。そしてそこは強制的選択、流動的選択の2つのパターンが考えられる。


コロナ禍ではオンラインコミュニケーションが一気に普及した。そしてその普及環境において実社会ではどうだったかというのは大きな影響があると私は感じている。なぜなら実社会に社会的規制がそれほどなければ規制が終われば全部元に戻るはずだ!という認識を持ってしまいがちだからだ。ここで社会規制が強いと、心理的圧力で世界が変わった感を深く感じる。例えるなら規制が終わった後は、まるで終戦のような気分になる。そう、一度失ったものは戻らない、という打ちひしがれた感情になる。でも、その規制が緩やかであると全部元通りになるような幻想を抱きがちではないだろうか。そもそも持っていなかった可能性もあるのに。そう、つまり「往来」を取り戻すという概念において元の「往来」がなんだったのかが、不明確になっている場合があるのではと感じていた。


なので、コロナ禍とか関係なく「往来」に関して挑戦していった作品に強いメッセージ性を感じた。従来のメッセージ性にコロナ禍の時間がより強いメッセージを追加したような感覚だ。


ここでは3人(2名と1組)のアーティストの流れでその往来について自分の感情をまとめてみたい。


家族関係というのは「強制的選択」に近いと思うことがある。親子という関係は当人同士が強制的に設定された状態から始められる。そこに対しての疑問、改善要求をどう主張していくか、どう受け入れていくかで往来の方法は常に変化していく。子供からの変化の要求を親としてどう捉えるか、そして子供はその要求をどう伝えいくか、往来に感情が伴う。


松田修君の《奴隷の椅子》(2020 / 2022)は親からの目線である「往来」についてのの作品。ある女性が語る映像作品は過酷な人生を笑い飛ばしながら、そこには生きるための覚悟を感じる。自分には生きていけるか、生きていく際に覚悟があるか?と多くの人が強く問いかけされたのがこのコロナ禍であったのではないか。そして最後に座っていた椅子から思わず立ち上がってしまいそうになる。覚悟を軽んじた態度でこの作品に臨めば、おそらくおかんに往復ピンタされて笑い飛ばされるだろう。小さな太平洋には大きな懐があった。


キュンチョメの《声枯れるまで》(2019 / 2022)はその「往来」においての自分の思い変化を子供から親へどう話すか。その往来への勇気を作品にしていると私は解釈した。往来とは行き来がないと往来ではない。来るものを認めないと往来にならない。自分の性認識を親に理解してほしい、という想いを言葉にすることの大変さ、勇気を思うと親として涙が出る、そしてその往来の思いに寄り添える二人が作る世界をこれからもずっと応援していきたい。

そして同時にこの作品を初めて鑑賞した2019年から3年が経ったこと、あの時から本当にいろいろ世界が変わったことに思いを馳せる。


そして最後の折元さんの《おばあちゃんのランチ》シリーズの映像世界でとどめを刺された。そこには家族間の往来の主張や内容ではなく「往来の存在そのもの」が提示されていた。自分を存分に受け入れてきてくれた、愛を存分に吹き込んでくれた母親をそのまま芸術として表現した折元さんの作品群は数年前に父を痴呆の末亡くし、高齢の母の側にいたいという私の願いを叶えるために日本に帰国した私の心を揺さぶった。
折本さんはお母様だけでなく、お母様と同じようなおばあちゃんに愛を届け続けるという行為を続けた。それはまさに究極の「往来」である。実の母への直接的な往来ではないのでは?とかそんなの問題ではないのだ。

父親の遠隔介護には少ししか参加できなかった自分だけど痴呆が進んだ父との最後の会話を思い出して泣いた。ちなみに最後の会話が出来たのは森美術館のおかげだった。


愛のある往来は、実際の往来を越えると実感し涙した。母親に会いたくなった。


最後のパートではAKI INOMATAさんと青木野枝さんの作品が素晴らしかった。AKI INOMATAさんの作品は西武百貨店のギャラリーでの展覧会を拝見してからずっと追いかけさせて頂いている。ヤドカリ、ミノムシの作品に続き今回《彫刻のつくりかた》(2018-2021)はビーバーと共に製作した作品。
動物との往来というのは正直言語交流ができないので「この往来は動物はどう思っているのか」を確認する術がない。確信を持てないけど信じて往来を続けていく勇気、これこそ往来における真の勇気なのかもしれないと感じた。

青木野枝さんの作品の重厚な美しさには深い感銘を受けた。青木さんの作品は瀬戸内国際芸術祭や自由が丘のギャラリー「gallery21yo-j」で何度も感激させて頂いている。自然の中や生活を感じさせるギャラリーブースの中で感じる鉄の温かみが大きなホワイトキューブでどう伝わるのかと興味津々であったけど、愛を感じる「往来」はどんな場所でも感じられるのだなと、改めて感じた。


正直久しぶりにご挨拶させて頂いた方、人が多くてご挨拶が不義理になってしまった方、自分語りを無理に聞かせてしまった方などいろいろすみませんでした。人混みが苦手な故の混乱ということでお許しください。


そしてもう1つ大きな気づきがあった。今回久しぶりに日本の内覧会に参加して、内覧会のシステムが変化していたことにちょっとした驚きと同時に大きな変化への序章を感じている。


内覧会で集まる人をいくつかのカテゴリー分けして密を防ぐ、レセプションなどを大規模に行わない、カテゴリーごとのスケジュールの詳細を事前に細かく伝えない方法は東南アジアの美術館やギャラリーでもよく使われていた。私自身もマレーシアでは「この時間に来て」や「鑑賞したらこの場所に行って」など直前に指示されることも多かった。このような密を避ける方法はこのコロナ禍では最善策なので仕方がない。(事前の感染検査がなかっただけでも私的にはとても嬉しい、マレーシアでは(検査キットが激安で普及していたからという状況もあったが)事前検査ばかりだった)。

ただ、この手法を使うと人の体は1つしかないので人によっては作家やキュレーターに会えない内覧会になる。そして接触が選別されることに対して否定的な感情をもつ人も出てくる。これはコロナ禍前の状況を知ってると尚強くなる。


芸術を愛するから、芸術を表現する場所を愛する故に出向く。愛があっても会えなかった時代を経て我々は「自分は会うために選別される、選別している」という立場であるということを見せつけられている。その選別故に生まれた感情にどう向き合うか。その感情を越える往来の方法とは。ここを探求することで「新しい往来の形が爆誕するのでは」という期待を感じている。
今後の日本の美術館の来訪者との往来がどのように進化していくか、注目していきたい。