休職希望です。

とりあえず今日は体調は良かった。
いつ頭痛がくるかもわからない、恐る恐る自分の身体の機嫌をうかがうような毎日でそれだけで神経すり減らしているような気持ちがする。
明日から月曜日で、また仕事がはじまるけど、きっとわたしはまた最低限の作業をやり定時にフェードアウトする。それでいいと思う。
それでいいと思っていたのに。これまでそうしてこなかったから、非常に申し訳ない気持ちになるのだ。先輩には、きっと心配されている、だけならまだしもイラつかせているのではないか、とさえ想像して怯えてしまう。
なんで一生懸命やってきてしまったのだろう。給料をもらっているけど、与えられた職域というものがあるのだから、それを全うすればよいのだ私。

ラジオ「相談は踊る」でジェーン・スーが言っていた。職域を超えてはいけない。私は、超えてはいけない一線を悠々と超えて、ぐんぐんと超えていかないと、自分には価値がないのだと思い込んでいた。今はわかる。そんなことないよって。

秋からは休職すると決めているから、最小限の社内コミュニケーション、必要最低限の業務をやり、定時退社する。影で何を言われようが、かまわない。(と言いつつとても人の目が気になるのだけど。)そう。人の目が異様に気になるのだ。出社したときの、知らない人(といっても同じ職場の人間たち)の視線や、聞き耳を立てられているのではないか、という恐怖があった。

3年前、コロナのパンデミックが始まってから会社はフルリモートになり、最近になって週2日出社のスタイルに変わった。以前のようによく知らない人たち(会社の人たち)と他愛ない会話をしたり、同じ空間を共有することがこんなにも困難だったかと驚く。
自分がいったいどんな方法で、どんな距離感で他者とコミュニケーションをとっていたのか、身体が思い出せない。終始ぎこちなく、常にだれかの視線を感じ、会話を聞かれていると錯覚しているうちに出社ができなくなった。

具体的にはこんな感じ。

出社日の前日、リュックサックにPCや社員証など出社に必要なものをすべて入れて、洋服まですべて用意して寝る。
それで当日の朝、もうこれは確実にダメだなー、という気持ちで目覚める。
重苦しい気持ちのまま何度か出社したが、それ以降は出社ができなかった。風邪っぽいとか頭痛が止まらないとか、何かと理由をつけてリモートにしてもらった。知らない人々の笑い声や視線がない自宅は、控えめに言って最高だった。会社に比べれば、天国だった。
疲れやすく頭痛がおさまらないといった体調不良は波がありながらも続いていたので、実際助かってもいた。

なぜこんな風になってしまったんだろう、と思う。
普通に働いていたのに、人と会うのが怖いなんてこと、なかったのに。食生活?運動不足? ・・・原因が知りたかった。でも、うっすらわかっている気がした。それは、自分の本当の声と向き合ってこなかったことであった。自分のこころの声を無視してきたツケが回ってきた、と思った。

土門蘭著『死ぬまで生きる日記』を読んで、すごい本に出会ってしまったぞという気持ちとともに、ふとそう思った。
自分というものがいちばんわからないし面倒くさそうだから、避けてきたのかもしれない。自分自身にごめんね、と思った。

ということで休職させていただきます。ご迷惑おかけしますが、私には休む権利があるので休みます。私がいなくても業務は回ります。
そういうことなので、よろしくお願いいたします。

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