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自分年表B

いつものように「今日の靴下どれ履こうかな」と引き出しをあさっていた。すると、【自分年表】のようなイメージが、突然、頭の中に広がり始めた。

3歳の私は、廊下に置いてある三輪車に座り、開いているドアの中の様子を眺めて良い気分。お気に入りのスヌーピーのワンピース。

5歳、初めて保育園に来た時、園児たちは、初対面って言葉を知らないせいなのか当たり前のように私に話しかけ、ふざけた姿見せて笑いを求めてきたりした。みんなで七夕の飾り付けをやり、なんとも言えない心地よい一体感。初対面なのに子供ってこんなに簡単にその日のうちに仲良くなれるんだ、と今の私が驚く。

小学生の髪の長い私、学校の帰り道、「大人になっても遊ぼうね」って言おうとしたら、先に友達が言ってくれて嬉しくてびっくりしたこと。

中2、バレンタインチョコ渡しに行った後、上機嫌で自電車こいでいたら、ドブに落ちてしばらく動けず、笑い転げて、汚れても幸せでだったこと。

高1、毎日授業中、何にもないのに友達と笑い転げて涙を抑えるのに必死だったこと。

お友達のお母さんや、クリーニング屋さん、本屋のおじさん。私がさみしいと感じていたことを察していたのか、そうじゃないのかはわからないけど、「おかえり!なんか食べる?」ってよく聞かれた。

いろんなところに私の居場所があった。

どんどん登場人物や風景や感覚までもが、次々とページを開くように現れてきた。それはまるで、どこかの長い道に年代別に並んでいるパネルのように現れ、私がその道をひとり、マラソンしているように駆け抜けてるように見えた。

不思議なのは、すっかり忘れていたシーンばかり。

子供時代、私は暗い部屋に一人で過ごしていて、孤独で、静かなイメージが馴染んでいた。自分の過去を振り返れば、波乱万丈、人生は修行、地獄みたいに決めつけていた。それについて悩んだ時間が圧倒的に多かったと思っていたけど、その苦しみと同じぐらい、笑っていたことを、なぜかハッキリと、鮮明に突然現れ、思い出すことになった。

まるで、A面だけしか覚えてないカセットテープみたいに、A面の部分は都合よく憶えていて、B面の部分はすっかり無かったことにしているみたいに。

そして最後のゴールには、今の家族、娘の顔が得意げに、かわいく登場した。
素晴らしい道を突然見た。ドキドキしていて、気づいたら泣いていた。

5分しか経っていなかった。

そして靴下を履いて家を出た。


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