記憶と知識
VOOXで聴いた、認知心理学が専門の今井むつみ先生による「記憶と知識」が興味深かったので、私なりに考察したいと思います。
記憶は、脳に貯められ必要に応じて引き出すことができる情報です。
知識は、記憶された情報が他の情報と関連付けて新たな意味や情報を生成できるものです。
記憶の先に知識となりますので、この2つは並列ではありません。何らかの好奇心があるか、目的や使命を持っていれば、記憶された情報を活用して解釈したり新たな気付きを求めるようになりますので知識化されることになります。
記憶の知識化
教科書に記載された内容を記憶したとして知識化されづらかったのは、その記憶を活用する立場になかったからではないでしょうか。現代の政治にすら興味ない子供が、何百年も前の政治史に興味を持てというのに無理があります。
小倉百人一首を競技化して丸暗記させるのは、よくできた動機も持たせ方ですし、テストで良い点を取れば褒められるもちょっとした動機にはなりますが、競争して下位についた子はかえってモチベーションを落とすかもしれません。副作用なく教育をするなら、いかに好奇心に火をつけるかがカギになりそうです。
たとえば日本史で、徳川家光が参勤交代を始めたとを教わったとしても興味がなければ単なる記憶です。でも、全国を統治するため大名が幕府に歯向かわないようにした、ということまで知ったら、学級委員がクラスをまとめ上げるためにどんな手段が取れるのかなど一緒に考えても少しは興味が湧くかもしれません。
また、大名に散財させるって何か非生産的な気がするけど、それ以外の方法はなかったのか?と一緒に考えても面白いかもしれません。他の国で行われた内部圧力を下げる別の方法にどんなものがあるのか紹介してそれが面白いものであれば、参勤交代に興味が持てるかもしれません。さらには、大名が参勤交代で江戸に来ているときに大名は江戸で何をやっていたかとか、大名がいない地元では反乱は起きなかったのかとか、誰が代理で収めたのかなど小話を付けるだけでも記憶が知識に転換されそうです。
知識化されやすい教育方法
逆に子供一人ひとりが既に持っている興味を起点に教育内容を作ってあげたら知識が増えるはずです。
たとえば、ファッションに興味のある中学生なら、江戸時代の人々はどんなファッションだったのか? でも、モテようがモテまいが自分の意志で付き合う相手を決めることができないなら、自分を良く見せようなどと思わなかったのではないかとか。そもそも女の子が学校に行っていなかったので同年代の人たちと出会う機会がなかったのではないか、とか。では、いつの時代からファッションが広がったのか、いつの時代から好きな人と付き合えるようになったのかなどと次々に興味を展開してあげれば、そもそも興味を持って新たな知識を得ようとするのではないかと思います。
ただし、この方法には個別対応が必要ですから、先生一人で35人に教えるような環境では難しいのかもしれません。でも、デジタル化された教育ならできるかもしれませんし、生徒同士の対話から興味を引き出せるファシリテート型の教育スタイルなら何かできるのかもしれません。
いずれにせよ、今まで教育からガラッと変えることは難しいので、週1~2時間くらいから導入したらよいのかなと妄想しています。