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息子の変身を目の当たりにした日

少し前の話。

2歳からインターナショナルキンダーに通っていた息子が小学生になり、いよいよ英語環境から卒業。妖精から人間へ。現実世界へやってきました。

幼稚園では愛情たっぷりに育ててもらい、親の目からも先生の目からもいつでもすぐ近くで思い切り自分のすべてをさらけ出して暮らしていた息子は、その温かい環境からポーンと飛び出し、この辺りでは珍しい一学年5クラスのマンモス小学校へ入学しました。

ご近所の一年生たちと(息子だけ)大きな声を出しながらねり歩き、我が家まで帰ってくる。大汗をかいて「楽しかったー!」と家に入る前に、庭のど真ん中で放り投げるランドセルとマスク。岐阜弁もさらに流暢になり、朝から晩まで喋り続け、歌い続け、動きが止まらない。こうして楽しく始まった小学校生活。

よかった、よかった。なのですが、やはりせっかく習得した英語力。なんとか忘れないようにと親は必死です。そこで幼稚園のアフタークラス以外にも、街中の英会話スクールのプライベートコースへ毎週通うようになりました。

2ヶ月ほど経ったある日、オープンクラスのためレッスンを見学することになりました。

そこでの息子の態度に驚愕しました。なんと、話は聞かないで無視する、立ち歩く、歌い出しふざける、文字は書かずに絵を描く、分からないふりをしたり、嘘をつく。机の上に足を乗せる。日本語ばかり話して外国人の先生を困らせる。あまりにひどい態度で、先生に申し訳なくて仕方がない。それでも我慢して見学していて気づいたことがありました。

先生の教え方はとても丁寧で優しく素晴らしいのですが、やっている内容が・・・息子には簡単過ぎたのです。そんなの簡単だからさっさと答えて次に進めばいいのにと私は思ってしまったのですが、野生児の息子にはそんな器用なことはできません。「簡単すぎてつまらない」「わかっていることをどうしてやるんだ」という気持ちだったのでしょう。それを伝える術を持たない彼は、わざと分からないふりをしたり、いい加減に答えたり、悪ふざけをすることしかできません。そんな息子の態度の裏に合った気持ちに、私がもっと早く気づいてあげるべきでした。

先生からしたら「まだ理解できていないのかな?」と不思議に思ってしまうのかもしれません。人と同じことをする、とか皆と一緒に問題を解いていくなどの行動が難しい息子に、「プライベートレッスン」ならと思って受けさせたのですが、さらに「丁寧にテキストに沿って基礎からやる」ような状況にも適応するのが難しいのだ、とやっと気づくことができました。一度「簡単すぎるかもしれないのでもう少しレベルアップを」とお願いしたのですが、お返事は「知識がまだらなので、まずは基礎から」と言われていたのです。

薄々感じていた私たち夫婦は、友達から紹介してもらった良さそうな先生の体験レッスンを予約していました。それが、このオープンクラスと偶然同じ日だったのです。

移動の車の中、「今日はもう一個レッスン受けるよ。楽しんでおいで。」という私に、無表情の息子。英語は好きなのに、かわいそうなことをしていたんだとようやく実感が湧いてきました。

そして次の先生のお宅に到着。先生のキリッとした雰囲気と優しい言葉がけが一瞬にして息子の心をつかんだようで、さっきまでのふざけた態度は消え去り、きちんと答える、楽しく英語を話し出す、一生懸命文字を書く先生としっかり目を合わせている。

なんだこの変わりようは・・・・と数十分前の驚愕を上回る驚きでした。

子供の気持ちをよく聞いてくれて、対等に話をしてくれる。それができなかった先生の態度の方が悪かったのです。息子の態度は確かにマナー違反だったけれど、そうやって環境に適応できないことを訴えていた息子に気づいてあげられなかった親である私にも責任があります。目の前で起こった息子の変化を目の当たりにすることで、とても大切なことを学びました。

今は新しい先生のもとで、楽しく英語の学習を続けています。私もアートクラスの講師として、毎週子供たちと接していますが、「話をよく聴き、対等であること」を常に意識するようにしています。子供たちの個性や興味関心を伸ばすのもつぶすのも、周りの環境がものすごく影響するのだということを忘れないように。

といっても、親子って本当にむずかしい。上から目線爆裂で「いいかげんにパンツはきなさい!」とか「またこれ片付けてない、おやつなし!」など軽々と口から出てしまう私。

「神さまのお子さまをお預かりしている」と思って接すると良い、と聞いたことがありますが、歯の抜けた息子のニヤけた顔を見ると一瞬にして忘れます。

サポート頂けたら嬉しいです!自分の世界をどんどん広げ、シェアしていきたいです。コツコツ階段を登り続け、人生を楽しみ尽くします。