見出し画像

『命の最期が見えた時、悪くない人生だったと言う方法』の話。

5月27日深夜「お父さんが突然倒れて心肺停止。手術をしても助かる可能性は低い。帰省した方がいい」と母から電話があった。
実家まで片道3時間。覚悟を決めて向かった。

母がすぐに父の異変に気付き、心配蘇生の講習をたまたま受けていた長男が心臓マッサージをし、救急隊到着後AEDを2回するも意識不明。心筋梗塞だ。
すぐに手術をするも、生死を彷徨っている危険な状況に変わりはない。
一命を取り止めても目覚める可能性は低いと告げられた。

病院はコロナウイルスの影響で厳戒態勢。
代表者1名のみが、ICUで父を一目見ることが許された。母が会う事になった。
沢山の管に繋がれていて、生きている様に見えなかった。でも体は温かかった。
と言って戻ってきた。
私はコロナウイルスの恐ろしさと、人の無力さを痛感した。

ーーーーーーーーーー

ここから数日母は、
お茶を入れれば、お父さんに今年の新茶を飲ませてあげればよかった…
テレビをつければ、ここに行きたいって言ってた。早く行っておけばよかった…
食卓に箸が並べば、旅先で作ったお揃いの箸を一度でも使えばよかった…

最初は後悔ばかりを口にしているのだと思った。
でも、後悔と同時に思い出をなぞる様に、懐かしんでいると分かった。

ーーーーーーーーーー

あっと言う間に3日が過ぎたー。
この頃から家族の会話に変化がでる。
あの時お父さんと行ってて良かったよね!
これを一度でも食べてて良かったね!
いつも通りに過ごせて良かったよね!
そしてこの後母が言った言葉を、私はきっと生涯忘れない。
「まぁ…お父さん、そんなに悪くない人生だったと思うよ。」

大きな事を成し遂げなくて、何者かになれなくても、それはさほど重要なことではない。
"悪くない人生だった"と思えるような、そんな納得のいく毎日を生きることが出来れば、それは他人の人生と比較できないほど幸せなことだ。
それはつまり、小さな事にも幸せを感じられる自分であるという事だ。

ーーーーーーーーーー

そして4日目の朝、医師より一本の電話が入る。
「こちらの呼びかけに応じて、指先が反応している。意識が戻るかもしれない!」
そしてその時は訪れる。
父は奇跡的に目を覚まし、回復の兆しを見せたのだ。

更に夕方、
「目が覚めて、ご本人が奥様に一言お礼を言いたいとの事です。少しなら会話ができます。」
驚いた!
そして父は泣きながら、ままならない呼吸で精一杯の感謝を込めて母にこう伝えた。
「世話になったなぁ。」
そして私たち家族に
「死ぬかと思った。助けてくれてありがとう。」
短くも、とても美しい言葉だった。
家族に少しの安堵と笑顔が戻った。

5日目。
担当医の先生からは、回復に驚いているとの報告を受けた。
そして、この奇跡的な回復には理由がある事が分かった。
母が異変に気付くのが早く、長男はたまたま受講した救命講習で習得した心臓マッサージを的確に実行。
これが命を救っていたと断定。

6日目以降からは自力での呼吸や食事ができるまでに回復し、再発防止の手術も可能になるほど体力も回復。
そして8日目の今日、除細動器の埋め込み手術後、初めて家族みんなが父との涙の再会を果たした。

ーーーーーーーーーー

奇跡は勝手に起こるものではない。
これまでのそれぞれの経験、タイミング、持っている能力、相手を想う気持ち、そういったものが、奇跡的な確率で機能し合い起こる出来事のことだ。

さっきまで何気ない日常を過ごしていた人が、数秒後自分の目の前で生死を彷徨っていたら、その人と過ごした時間に後悔は無いと心から思えるだろうか?
それは無理だろう…。初めはそう思った。
だけど今は少し違う。
何気ない日常を、いつも通りに生きている事だけで、とっても素晴らしくて、とってもすごい事なんだ。
大切なのは、その事に気が付いている毎日かという事。

強いとか弱いとか、そんなことはどうでもいい。
生きているという事実が尊く素晴らしい事だ。

除細動器を体内に埋め込んだ父は、身体障害者になった。
でも、それはつまり生活に障害をきたす部分が身体にあるため、それと共に生涯生きることを意味する。そんな父を私は誇りに思う。

あなたの今日はあなたにしか生きられない。
例え無意味に思えることでも、それがいつか何かのタイミングで自分や周りの人の力に変わる事もある。
だから、日々出逢う人や出来事に、丁寧に、感謝と敬意をもって関わること。

ーーーーーーーーーー

そして最後に、医療関係者をはじめ、コロナウイルスと向き合う全ての方へ、心からの感謝を伝えたい。そして少しでも多くの方に届いて欲しい。

コロナウイルスの影響により、病院はまだまだ面会等を制限している。
家族に会う事を励みに、病と戦っている患者さんとその家族にとって、"会えない"という大きな壁を少しでも取り除く工夫に、懸命に取り組んでくれている。
命を救い、生きたいという気持ちに寄り添い、その家族のケアをしている上にだ。

最前線でコロナウイルスと向き合い働いている世界中の人と、影響を受ける全ての人が、今日も明日も健康で生きるため、
「自分とは無関係だと思う人を減らしたい!」
この声が少しでも多くの人に届いて欲しい。

読んでくれたあなたへ。
生まれてきてくれて有り難う。
命を守ってくれて有り難う。
今日も生きていてくれて有り難う。


2020年6月に、生死を彷徨った父と私たち家族が精一杯生きた時の記録。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?