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【伝承館】市民の声で変革促せ(ジャーナリスト 牧内昇平)

 昨年9月にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)で、展示のメーンの一つとも言える「原子力広報看板」が写真パネルから実物の展示に切り替わる。要するに、市民が声を上げれば伝承館はよい方向へ生まれ変わるのではないだろうか。どこをどう変えればいいのか。高校教諭や現役の「語り部」に意見を聞いてみた。

 1月5日付の福島民報にこんな見出しの記事が載った。

 「原子力広報看板 双葉の伝承館へ」「県方針 県立博物館から実物移送」

 記事によると、双葉町の「原子力広報看板」について、昨年9月のオープン以来大型写真の展示しかなかったが、実物に切り替える方針を固めたという。内容は興味深かったが、やや読み応えのない記事だった。「大きすぎる」との理由で実物展示を見送っていたそうだが、なぜ半年ほどで方針転換したのか、その点に踏み込んでいないためだ。本誌先月号の記事「資料選定で見せた民報幹部のお粗末ぶり」が指摘している通り、オープン前に展示内容を検討した有識者会議には、当の福島民報社の編集局長も参加していた。それならば尚のこと、展示内容を見直す際はそれなりの「検証」が必要だと筆者は考えるが、それが記事内に見当たらなかったのは残念だった。

 それはともかく、原子力広報看板が実物展示に切り替わること自体は評価したい。写真パネルだけでは明らかにインパクトが乏しかった。巨大看板を見上げれば、この国でどのような原子力政策が進められてきたかがすぐに分かるだろう。ぜひ当時の状況に近い形での展示を実現してほしい。

 要するに、伝承館の展示内容は変わり得るということだ。行政に任せるのではなく、「こうすべきだ」と声を上げることが大切ではないだろうか。ということで、関心を寄せる人たちの意見を聞いてみた。

市民による勉強会も開催

 まずは、施設のあり方について議論する取り組みを一つ紹介したい。
 昨年10月下旬、浪江町内の集会所で、「原子力災害伝承館で考える」というテーマの勉強会があった。3・11後の福島の「倫理」を考える市民団体「エチカ福島」が開催した。会には約20人が参加し、積極的に意見を出し合っていた。

 「なぜ原発事故が起きたのか。その危険性も含めて全く伝わらない展示だった」、「『ピンチをチャンスに』といった趣旨のメッセージが強調されていた」

 予想通りの厳しい指摘が相次ぐ中で、伝承館の「よいところ」に目を向けようとしている人も少なくなかった。

 「地元出身の職員の方とじっくり話すことができた」、「案外いろいろな展示があった。展示に関わっている人は『語らねばならない』という気持ちがあったのだと思う」

 賛否含めて活発な議論が行われていたのが印象的だった。主催者の一人、県立高校の公民科教諭、渡部純さんは、「伝承館からどんなメッセージを受け取ったか。伝承館が伝えていない情報はなにか。みんなで語り合う場がほしかった」と話す。

P)渡部純さん(コピー)

渡部純さん

 勉強会の後日、渡部さん自身に話を聞いた。渡部さんは、伝承館の展示を「バスツアーで車窓から見る風景のような感じ」と表現した。それはなぜか。

 「人間がいない、ということだと思います。人間が感受するのは科学的なデータとか客観的な情報ではない。被災した一人ひとりがどう生きたかということに、『自分も同じだ』とか、『自分の親もそうだった』という想像力がはたらくのだと思います。伝承館にも証言はたくさんありましたが、『こういう人がいました』というサンプル的な展示で、一人ひとりがどう葛藤してどう生き抜こうとしたかを示していないと思いました」

 渡部さんは続けて、高校の生徒たちと見学した時に気になったことを指摘した。

 「生徒たちの感想を読むと、『大変なことがあったのを勉強できてよか
ったです』とか、そういう常套句がすらすらと出てきます。結局は、なにも覚えてない。自分の生き方に結びつけていない」

 この指摘は深刻だ。常套句的な感想を述べるだけでは何も意味がない。原発事故を自分の生き方と結びつけるためには、どうすればいいのか。渡部さんが一つ提案してくれた。

 「思いつきですが、できる限り脈略なく、収集資料を展示したほうがいいと思います。時系列にせず、関係ない物同士を隣り合わせて並べる。『なぜこんなに散在しているの』という中で、来場者が自由に各展示の意味を結びつけていく。重要なのは展示に脈絡をつくらないこと。物語をつくったとたんに、オフィシャルな力がはたらくので」

 なるほど。伝承館の展示には大事なものが抜けている。「責任のありか」や「事故の背景・原因」を追及する姿勢だ。そういうメッセージはないが、明確に伝わってくるものが一つある。それが、最後の展示エリアのタイトルにもなっている「復興への挑戦」だ。順路に沿って館内を見ていけば、このエリアにある「福島イノベーション・コースト構想」などの展示を見て、「復興」の一語を脳裏に強くとどめて施設を後にすることになる。ランダムな展示によって一つの結論を押し付けられるのを防ごうという渡部さんの提案を、筆者は魅力的な選択肢だと感じた。

自主避難した10代の声

 エチカ福島の勉強会には、原発事故直後、福島市から関西へ自主避難した10代女性、Aさんも参加していた。後日、伝承館の感想を聞いてみると、「歴史の教科書を読んでいるような気がしました」と話してくれた。

 津波によって原発の非常用電源が動かなくなった。県全体で15万人以上が避難した――。確かに伝承館の展示は事実の羅列ばかりで、大事件のあらましをコンパクトにまとめた歴史教科書のようである。小学生のとき急に転校し、友だちや家族と離ればなれになる経験をしたAさんからすれば、さぞ「薄い」記述だったことだろう。今後、伝承館をどうしたらいいと思うか。そう問うと、Aさんは戸惑いながら答えた。

 「具体的に聞かれると難しいですが、どうすれば二度と同じ事故を繰り返さないで済むのかを本気で考えるための施設にしてほしいです。今はそういう感じではないので、いっそのこと、壊しちゃえと思ったりもします……」

 自主避難した人びとに関する言及が展示に乏しいことを聞いてみると、意外な答えが返ってきた。

 「そのことには、質問されるまで気づきもしませんでした。福島では自主避難者のことがクローズアップされたことはなく、私たちはいつも、『勝手に避難した人たち』です。だから、住宅の支援も打ち切りになりました。そういう経緯がずっと続いていたので、自主避難者についての展示が少ないことはむしろ当たり前でした」

 現在、都内の大学に通うAさんは、関西で就職することを検討しているという。福島への愛着が薄らいでいるのだ。この実態をまず理解し、修復に向かって進むための展示が伝承館には求められているだろう。

語り部の心境

 ところで、伝承館の「目玉」の一つが、「語り部」による口演である。だが、この語り部たちが、研修段階で「(国や東電を含む)特定の団体」を批判しないように求められていたことが明るみになっている。実際に語り部を務める方たちはどのような心境なのか。現在も伝承館で活動を続けているBさんに聞いてみた。

 「伝承館が国や東電などの批判を禁止しているのは事実です」

 開口一番、Bさんは研修会で配られた資料を筆者に見せながらそう答え、こんな話を続けた。

 「伝承館側からは『教訓を述べてくれ』と言われます。ただしこれは、エネルギー問題や原発の是非など社会的な意味での教訓ではありません。防災や減災。『普段からこういう物を用意しておいた方がいいよ』とか、『避難場所にはこれとこれを持参した方がいいよ』とか、そういう話です。施設を見に来られた方の問題意識は別のところにあるはずなのに、一般的な津波や地震対策を語るように求められました」

 それで語り部の方々は怒らないのか。

 「私のように怒る人もいましたが、経験の浅い方はそこまで考えが及ばず、災害時の教訓や支援してくれた方々への感謝を盛り込んで、語りを『きれいごと』でまとめてしまっている人もいました。伝承館側に誘導されてしまったという印象があります」

 Bさんが最も心配しているのは、語り部の待遇である。謝礼は1コマ約40分の口演で3500円。1日2コマ行った場合は7000円になるが、これは交通費込みの金額だ。会津地方など遠方から通う人は手元にそれほど残らない。

 「語り部が軽んじられている」とBさんが感じる理由はまだある。口演のために用意されている場所は、語り部専用の「講話室」などではなく、「ワークショップスペース」と書かれた小部屋だ。伝承館のホームページを見ても、登録されている語り部のプロフィールや口演日程などは見つからない。「語り部がきちんと話せる待遇と環境を整えてほしい」とBさんは憤る。

 なぜ、そんな状況でも語り部を続けるのか。Bさんは話す。

 「自分の中にある怒りやくやしさを忘れないためです。語ることによって消化できることがあるとも思っています。そういう人は実は結構多いと思うので、こんな私でも語り部ができることを見せて、被災された皆さんに『あなたもできます』と伝えたいのです。しかし、語り部を続けるにはそれ相応の待遇が必要です」

 伝承館側には、語り部の方々のモチベーションを維持する取り組みを求めたい。

伝承館を育てるのは私たち

 ここまで批判的な意見ばかり紹介してきたが、中にはもっと「やさしく」伝承館を見守っている人もいる。熊本大大学院の石原明子准教授(紛争解決学)だ。熊本に拠点を置くかたわら、研究や支援活動のため、震災以来何度も福島を訪れている。伝承館も2回見学したという。

石原さん顔写真

石原明子さん

 そんな石原さんはこう話す。

 「水俣病の場合、1956年の『公式確認』から30年以上経って水俣市立の水俣病資料館が開館しました。水俣にも、福島が今経験しているのと類似の問題があったのですが、地元に起こったことを見直す時間が与えられていました。震災後10年も経っていない中で、伝承館にはまだ難しいことかもしれません」

 事故で避難した人、避難しなかった人。賠償金を受け取った人、受け取れなかった人。福島県内には多種多様な「分断」が起きている。そこに向き合い、振り返りへの対話が進んだ時、伝承館の展示も違ったものになる可能性があるという。

 さらに石原さんが強調するのは、「伝承館を育てていく社会の責任」だ。

 伝承館の展示には「言いたいこと」がはっきり分からないものが少なくない。たとえば筆者が気になるのは、記事のはじめに取り上げた双葉町の「原子力広報看板」だ。《事故前の過剰な「原子力礼賛」への批判》として伝えたいのか、それとも批判ではなく《「素晴らしい原子力」が震災でとん挫した悲劇》として伝えたいのか。これについて聞くと石原さんは、「歴史をどう見るのか、まだ答えが出ていないのでしょう。伝承館の展示にどのようなキャプションをつけるかは、これからの社会が責任をもって成熟させていくことだと思います」と指摘する。

 「電気を使う生活を享受し、そのために原発を建ててそのツケを地方に押しつけてきたのは、都市部の人びとです。いわば日本社会のありよう全体が原発事故を引き起こしたのに、事故の被害は福島県内の問題として扱われてしまっています。先ほど指摘した『分断』をどう解決するか。本来は県民同士が敵と味方なのではなく、それぞれの悲しみを分かち合い、分断を引き起こした『根本原因』に向き合う必要があります。福島県内だけでなく、日本社会全体が対話に入ってこないと、解決には結びつかないということです。伝承館もそのような働きかけができるといいなと思います。言い換えれば、日本社会や世界を変えていくポテンシャル(可能性)を伝承館は持っている、とも言えるでしょう」

ネットで改善案を募集中

 最後に筆者自身がインターネット上で展開している取り組みを紹介したい。筆者がパートナーと運営するブログ「ウネリウネラ」では昨年秋から、「伝承館は何を伝承するのか」と題する企画を進めてきた。展示されている資料の一覧をアップしたり、展示パネルに書いてある解説文を紹介したりしている。まだ見学したことがない人も含めて、伝承館について意見を交わす場にしたいという狙いだった。企画を始めて以来、良質なご意見を多数もらっている。

 岩手県花巻市在住の鈴木太緒さんは、伝承館の展示に「放射線被ばくの危険や防護策」が説明されていないことを問題視した。

 《原発事故が起こったら、甲状腺がんを防ぐため直後に安定ヨウ素剤を飲まねばならないことは、津波が生じた際はめいめいに逃げるという「津波てんでんこ」と同じように、次の世代に真っ先に伝承すべき事項だと思いますが、その基本的な情報も記されていません。もし安定ヨウ素剤の服用について記すなら、福島の原発事故が起こった際、一部の自治体が自主的に配布した事例を除いて、安定ヨウ素剤が県内在住の方々に配られることがなかった事実と反省も、教訓として後世に伝承する必要があるでしょう》

 鈴木さんは当時東京に住んでいた。《直接避難を経験したわけではない自分が声を上げることにためらいを覚える瞬間もあります》としたうえで、こうも書いてくれた。

 《私たち日本に生きるすべての者が当事者であり、それぞれの仕方で向かい合ってゆくべき最重要課題の一つであると受け止めております》

 多くの人が自分なりに考え、意見を発信してほしいというのが筆者の狙いだった。鈴木さんのような方からご意見をもらえたのが企画の最大の収穫である。

 いわき市在住のペンネーム「きつねいぬ」さんが提唱してくれたのは、「ライブラリー&シアター構想」だ。

 《たとえば図書館のように、たとえば劇場のように、たとえばスタジオのように、様々な人の声や記録を、アーカイブしていくこと、発信していくハブになること、そういう可能性は十分にある、と思います。またたとえば、原発事故を題材としたドキュメンタリー作品を100年アーカイブに残し、継続的に上映していく、というようなことも考えられるでしょう。上映や上演なら、その表現の全てに伝承館が責任を負う必要もないはずです。公序良俗に反しない限り、さまざまな声の複数性を担保していくことができる施設運営というのは、不可能ではないように思うのです》

 この意見には心惹かれた。原発についてのスタンスや放射線被ばくの健康影響については、人によって意見が異なるだろう。しかし賛否両論の事柄を避けてはいけない。さまざまな意見をもった著書や映像作品を広く集め、紹介する場があっていい。それでこそ議論が深まるはずだ。

アートでうったえる手法

 考えてみれば伝承館には「アート」の要素がほとんどゼロだ。デジタル技術を駆使した映像資料はたくさんあるが、ひとの感性にうったえる芸術作品に乏しい。絵画、彫刻、詩、音楽……。3・11以来、さまざまなジャンルの芸術家が原発事故をモチーフにした作品を残している。それらの作品をきっかけに、事故の深刻さや被災した方々の想いを切実に受け止める人も少なくないだろう。「アート・ミュージアム構想」も、ぜひ検討してほしい課題である。

 展示すべき作品をめぐっては、双葉町出身の元新聞記者、小林茂さんから刺激的なアイデアが寄せられた。あの「サン・チャイルド」像を伝承館に展示してはどうか、という意見だ。

P)福島市内に設置された「サンチャイルド」像

撤去された「サン・チャイルド」(小林さん提供)

 サン・チャイルドはアーティストのヤノベケンジ氏の作品だ。2018年に「復興の象徴」として福島市が設置したが、「(少年像の防護服を連想させる出で立ちが)福島への差別を助長する」などといった批判を受け、すぐに撤去した経緯がある。小林さんは、《個人の思いとしては、双葉町の原発広報看板とともに、伝承館に設置されたらと願っています》とブログにコメントを寄せてくれた。

 物議を醸したこの作品をあえて伝承館で展示することには賛否両論あるかもしれない。だが、振り返ればサン・チャイルド騒動は、「アートとは何か」を考えさせられる出来事であり、2019年の「あいちトリエンナーレ」問題と地続きのものでもあった。震災・原発事故の文脈のなかでサン・チャイルドが提起した問題を考え、いろいろな意見を引き出す。「人びとに考えてもらう」という意味では、教科書的な内容で「素通り」させる今の施設よりも効果があるのではないかと思う。

 以上、伝承館についてのさまざまな意見や筆者のブログでの取り組みを紹介した。取材を続けると明るい兆しが見えてくるように感じる。建設的な意見が多く、このような意見を真摯に集めていけば、伝承館は「よりよい施設」に生まれ変わることができるように思うのだ。

 繰り返しになるが、原子力広報看板の実物公開が決まったように、人びとが声を上げれば展示内容は改善できるはずだ。熊本大の石原さんが指摘する通り、伝承館を育てる責任は他ならぬ私たちにある。

 筆者がブログで集めた意見は、伝承館を運営する「福島イノベーション・コースト構想推進機構」や、展示内容を検討する福島県庁に提出する予定だ。

まきうち・しょうへい。39歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。個人サイト「ウネリウネラ」。

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