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万里の長城・葛藤

春満開の週末、初めて家族で万里の長城へ。3月末にご帰国される方の送別会幹事を無事に終えた夜、ふと、左胸のシコリに気づいた。母を乳がんで亡くし、日常的に触診していたから、急に出来た感じ。様子をみようと週末を過ごしましたが、一向に消える雰囲気はなく。早めに白黒つけた方が良いとのアドバイスされ、北京で1番設備の整った病院に行き、マンモとエコーを撮ったらしこりは2.5センチ。翌日直ぐに針の生検を受診した。

担当外科医は清潔感あふれてすっぴんでも聡明な美人。手際よく、説明も丁寧。私から針の生検は痛くないか?と聞くと、麻酔は少し痛いが、麻酔したら、あとは痛くないと…普通にそのまま信じました。だって、麻酔をするんだから、痛くないよね。所詮、針だし…

翌朝、白黒しっかりつけようと、張り切っていきました。診察台にあがり、胸を出して、目を閉じる。すると、ポンとテニスボールを左手に渡される。嫌な予感。出産の陣痛中にも確か渡された気がする…

チクー、っと麻酔と思われる注射が打たれたが、想定内の痛み。これで安心なはずだが、感覚がまだあるのを感じる。でも麻酔が効いているか、確認することもなく、右手にいたエコー担当医がエコーでしこりの場所を特定、外科医がしこりめがけて、パーン!痛い!!

麻酔銃ですか?!一体、何ですか?針なんですか⁈すごーく痛いんですけど…こうなったら、エコー画面を見つめるしかない。しこりの影に白いスジがハッキリ見える。しっかり撃ち抜かれた様子。確実に痛いが、早く白黒つけて欲しいので、無言で耐える。そして、2発目、パーン!3発目、パーン!そう、確か、3回とるって言っていたから、これて終わりなはず。そしたら、外科医が「空kong」と言った。え?!「空kong」って何?失敗しないでよ、こっちは超絶に痛いんだから。絶対に失敗しないでよー!4発目パーン…終了。針っていうか、銃。

看護師さんの手は私の左胸からの出血で血塗れ。大きな絆創膏が貼られ、包帯で胸をグルグル巻きにされた。10分で終わる痛くないはずの針の生検に、私は完全に打ちのめされた…黒で手術になったら、耐えられるのだろうか…

その日の夜は、宗教上の理由で完全ベジタリアンのご夫妻が来ることになっていた。でも、左胸が痛い。痛すぎる。痛み止めを飲んで、無心で夕食の支度をした。ステキなご夫妻と過ごす、幸せな時間だった。インドの西海岸のリゾートの写真を沢山みせてくれ、一緒に行く約束をしたが、心の中で私は多分いけないだろうと思った。

翌朝、1泊2日の日程で万里の長城へ。ハンドル握るのはもちろん私。高速沿いに駅が見えた。寒い冬の日、ママとまだ抱っこ紐でオムツが取れかけの娘と、電車で万里の長城に行ったことを思い出す。元気な時、毎月のように北京に来てくれたママ。私もあっという間にママのとこに行くかも、と思う。高速沿いでも万里の長城の一部が見える。桜が咲いている。今年最後になるかも知れない。少なくとも、万里の長城で見る桜は最初で最後になる。

丁度、しこりに気づいた頃、薦められていた本を、長城近くのホテルについてから耳読した。
「寿命が尽きる2年前」日下部洋氏


ガンを見つけて放って置くと、だいたい2年ぐらいで命が尽きるそう。痛い治療をするなら、その方が良いかな、っとさえ感じる。だから、手術や抗がん剤をすれば乳がんは治るというが、ただ生きる為に、痛くて辛い思いをするのが怖い。

日曜日、万里の長城を歩く。歩いて歩いて歩く。治療を始めたら体力が落ちていくのかな、こんなふうに家族で歩けなくなるのかな。妄想の嵐。

月曜日の朝から乳がん手術後のケアビジネスを始めた旧友Sにzoomで話を聞いてもらった。針の生検がどれだけ痛かったかということ、十分今までの人生を楽しんだから、生きることに悔いはないこと、外科手術をなるべくしたくないこと。聞き上手な友人はたくさん沢山私の話を聞いてくれて、そういう人いるよ、手術したあとこんなはずじゃなかった、っていう人。ただただ肯定して、共感してくれる。QOLは大事だよね、日本の医療は生きるか死ぬかについての技術は高いんだけど、質についての施策が遅れてる、っと話してくれた。遂には、生きがいについて話が収斂されていったとき、ふと、以前、この友人Sが、不整脈が原因で心肺停止になり、一度死んだんだよ、って話をしてくれたのを思い出す。

あの時の私はピンピンしていて、へー、心肺停止すると、視界と意識がシャットダウンされる感じなんだ、死後の世界はないって、そうは言っても、生き返ったってことは、やはり、死後の世界には行ってないよね…と思ったのだ。改めて聞く。その時、一体どんな手術したの?

すると友人Sは、不静脈を治すために心臓の近くの血管を焼くんだけど、めちゃくちゃ痛いの、5時間ぐらい。え?!麻酔しないの?麻酔はするんだけど、意識をなくすと、反応が見れなくなるから、意識はそのままだから、まじで超痛いの。それも5時間⁈さらに2回もその手術したの…

そんな壮絶な話を聞いた月曜日の午後、金曜日からずっと怖くて貼りっぱなしだった絆創膏を恐る恐るとった。変色した血が沢山ついたガーゼが出てきたが、傷口は何もなかった…なんと人騒がせな私…

その夜、夫に友人Sの手術の話をした。そう、夫と知り合った合コンで、彼女は夫の隣に座っていたから。夫も良く覚えている。人生のパズルってホントに面白い。「Sちゃん、そんな拷問のような手術したんだって。」すると夫は、「僕もとてもそんな手術はとても耐えられないよ。アロマ治療でなおらなければ、僕も楽にして欲しい…」

その場は可笑しくて笑ったが、翌朝になって、アロマ治療って何だ?っと思いかえした。我が家の大黒柱が。両親2人ともそんなじゃ、娘が可哀想じゃないか。 私がしっかりしなくちゃと思った。賢い夫なりの合気道的な励まし方か⁈とも思う。

日本で治療するとしたら、どこの病院が良いだろう。ふと、夏の一時帰国で膵臓の検査をしたT病院を調べる。すると海外で治療される方用の相談窓口を見つけた。導かれている。早速、事情を説明したメールをしたら、祝日の夜に返信をドクターから頂いた。理路整然と書かれたメールにとても好感が持てた。

明日には白黒つくはず。白でも黒でも楽しもうと今は思う。万里の長城を見るたびに、多分一生この約2週間の私の葛藤を思い出すと思う。



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