#35 春の養生の続き。感覚を軸に置いておく。

#35 春の養生の続き。感覚を軸に置いておく。

正観セイカン
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前回の話の続きです◎
前々回の話とも繋がります◎

世界はいつも目の前にあり
わたしからまっすぐ前に向かう矢印において
世界を感覚していて

わたし、とは自分を指差す矢印ともうひとつ
まっすぐ前に向かう矢印も、わたし、であり

そのまっすぐ前に向かう矢印が
物心ついたときからずーっとあり

その矢印の基点、起点に
わたしは位置している、生きている

世界とわたしの間に身体はあり
世界を感覚する接点として位置している
身体を通してわたしは世界を感覚している

そして

わたしにとっての身体とは
肉体が本質ではなく
感覚が本質である

背中も後頭部も見えない
内臓も見えない
でも身体はある、感覚している
その感じているそれがわたしにとっての身体
感覚が身体

身体は内的なものも外的なものも感覚している

なら
感覚は世界であり身体でありわたしである

春の養生の仕方
とはいったものの
どんな環境で生きているのかにより
全く異なる

どんな環境なのか、身体なのか

感覚を中心から外さずに
その時その時の養生を考える

先人の知識、知恵から学び
今のわたしが養生する

そんな話。

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