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発表から50年! 不朽の名作、マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン』が今、改めて問い掛けること

1971年5月21日。ちょうど50年前のこの日、マーヴィン・ゲイの『What’s Going On(ホワッツ・ゴーイン・オン)』がモータウンから発表されました。同レーベルのなかでもバカ売れしたモンスターアルバムで、アメリカ黒人音楽史上、もっとも画期的な作品のひとつと評されています。そのメッセージは、今も多くの人の心を打ち、人種差別や戦争反対などを訴えるプロテストの現場で歌われ続けています。マーヴィン・ゲイの生き様とアルバム成立の背景などを音楽評論家の藤田正さんに詳しく解説してもらいます。

クリーン・アイドルから社会派アーティストへの脱皮

――『ホワッツ・ゴーイン・オン』が発表から半世紀を迎えました。当時、藤田さんはこのアルバムをどのように受け止められていたんですか?

藤田 アルバムの発表時、まわりはスゲーとなっていたけれど、ぼくはさして評価をしていなかった。なんといっても、戦前ブルース命だったからね(笑)。あと、彼のすぐ隣にはスティーヴィー・ワンダーという偉大な才能がいて、その一連の作品のほうがスゴイって思っていました。

――スティーヴィーとマーヴィンは、同時期にモータウン・レコードに所属し、マーヴィンはいわばクリーン・アイドルとして活躍していた。

藤田 そう。モータウン・レコードは、前身となるタムラを経て、1960年にアメリカ北部の自動車産業のマチ、ミシガン州デトロイトに誕生します。創立者はベリー・ゴーディー Jr.。彼自身が自動車工場で働いた経験から、工場の生産システムを音楽ビジネスに取り入れた。品質管理を徹底し、アーティストには歌い方、見せ方(ダンス)を教えこんで、若者に向けた新しいアメリカの音楽、モータウン・サウンドをつくりあげました。日本ではジャニーズなんかがモータウンの方式を取り入れて、歌って踊れるアイドルを育てていったといえるね。

マーヴィンは『ホワッツ・ゴーイン・オン』のジャケット(トップ画像)ではヒゲを生やしてイカツイ印象だけれど、マスクは甘く、もとより線が細いでしょ。だから<黒人のフランク・シナトラ>なんていって売り出されていたんですよ。

――ソロだけでなく、デュエットでのリリースも多いですよね。

藤田 タミー・テレルとのデュエットが彼の人気を不動のものにした。代表曲には「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」などがあります。YouTube(※下に掲載)にあるジェケ写からもわかるけど、マーヴィンって足が長い! 先端都市、デトロイトの美男&美女のカップルがうたうラブソングに、それは多くの人が魅了されました。けれど、タミーは脳腫瘍を患い、24歳の若さで夭折してしまう。彼女の死が『ホワッツ・ゴーイン・オン』の製作に影響したともいわれています。

マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(※)

――彼女の死を受けて、マーヴィンは音楽活動も一時休止。辛いときを過ごすなかで、自身の音楽性にも疑問を持ち始める。

藤田 彼は少年時代に牧師である厳格な父親から虐待を受けていた。それが音楽に目覚めるきっかけになるのだけれど。このトラウマが始終彼の人生について回ることになる。一方、モータウンのオーナー、ゴーディーには「おまえは歌って、踊っていればいいんだ」と言われていたはず。音楽に主義、主張は必要ないって。

――えっ? 映画『メイキング・オブ・モータウン』(2020年)でゴーディーさんは、所属アーティストに公民権運動にも積極的に協力させた、とにこやかに話してましたけど?

藤田 いや、それはどうだろうね~。彼は1にも2にもビジネスの人だから。確かに、1963年のワシントン大行進でのキング牧師の超有名な演説「I Have a Dream」をレコードに収め、リリースもしている。けれど、人種差別への抗議や公民権運動への参加は渋々だったんじゃないかな。白人マーケットに対するセールスを考えれば、政治的な色が付くのをモロに嫌っていた。

――映画では、主にスモーキー・ロビンソンさんと終始楽しく話していただけに、なんだかガッカリ……しかし、そんな圧力も押しのけてマーヴィンは自己を貫いたんですね。

『メーキング・オブ・モータウン』

原題/Hitsville : The Making of Motown
デトロイトの小さな一軒家にはじまり、マーヴィンやスティーヴィーのほか、テンプテーションズ、ダイアナ・ロス、ジャクソン5など数えきれないほどのスターを輩出した伝説的レーベルのドキュメント。本文ではネガティブなことも書いてますが、劇中ではマーヴィンが『ホワッツ・ゴーイン・オン』をつくりあげる過程が印象的に描かれています。必見。
※2021年5月20日現在、アマゾン、YouTubeなどで有料視聴が可能です。

今に通じる、「ブラック・ライヴズ・マター」の叫び

藤田 アルバムは1971年に発売されたわけだけど、ご存知のようにその頃はベトナム戦争の真っただ中。このnoteでも何度も取り上げてきたけど、1960年代の公民権運動の時代を中心に、サム・クックやジェームズ・ブラウン、アリーサ・フランクリンなど数多くのブラック・ミュージシャンが人種差別に抗議し、あるいは黒人同胞を鼓舞する歌をうたってきました。

ただ、『ホワッツ・ゴーイン・オン』のように歌手自身が総合的な指揮を執り、収録された9曲全体が一つのトーン・主張で統一されたアルバムは、それまでにありませんでした。つまり、当時のアルバムはほとんどがヒット曲の寄せ集めだった。いまでいうコンセプト・アルバムの先駆者といえばビートルズといえるだろうけど、アメリカの黒人アーティストたちはそんなことができる立場にありません。スタート地点が違いますから。

しかも、アイドルであるはずのマーヴィンが自らの苦悩を吐露するという。サムやJBは、黒人でも自らの会社を立ち上げて運営もする立場だったのに対して、マーヴィンはモータウンのお抱えで、会社の言うことに従う立場。そんな彼が自己を貫き通した点でも画期的なアルバムなんです。

――『ホワッツ・ゴーイン・オン』の収録曲は、ベトナム戦争の黒人退役軍人たちの「旅」を描いた2020年のネットフリックス映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』でも使われています。私はどうしても表題曲に意識がいってしまうのですが……書籍『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』ではこの点をじっくりと書いていただきました。

藤田 主人公のポール(デルロイ・リンドー)ら仲間がベトナムのジャングルを彷徨うなか口ずさむのが「ホワッツ・ゴーイン・オン」だから、ま、そう思うよね。この曲はベトナム帰還兵であるマーヴィンの弟の戦場でのエピソードをもとにつくられました。

ぼくは映画の中心にあるのは、「イナー・シティ・ブルース(Inner City Blues - Make Me Wanna Holler) 」と「ゴッド・イズ・ラヴ(God is Love)」だと指摘しました。アルバム制作当時、アメリカは泥沼化するベトナム戦争から抜け出せず、敗戦に向かってまっしぐら。本から少し引用するけど、「そのなかで一番にワリを食ったのはカラード、特に黒人やラテン系らマイノリティだった。このアルバムはまさにその苦境を捉え、神よ救いたまえと、彼は跪き泣いたのである」。まさに、これでしょ。

過酷な戦場から命からがら戻った帰還兵を迎えたマチは、経済的に破綻し、都市ゲットーは拡大。黒人たちの「故郷」は、1960年代のコミュニティよりもシビアな制度的差別下にありました。2020年のブラック・ライヴズ・マター運動で叫ばれた差別的状況は、アルバムが発表された50年前から何ひとつ変わっていないんです。より巧妙に隠されている、といえるかもしれません。

――「ゴッド・イズ・ラブ」は昨年、惜しくも天に召されたチャドウィック・ボーズマンの登場シーンで使われています。

藤田 差別や貧困にあげぎ、戦争でも最前線に送られ、故郷に戻っても心休まらない黒人たち。苦しみのなかから、マーヴィンがひとつの表現を見つけたのがアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』なのです。それが今の時代も変わらず歌い続けられているのは、当然のことなのではないでしょうか。

『ザ・ファイブ・ブラッズ』(原題/Da 5 Bloods) | Official Trailer | Netflix

監督/スパイク・リー。ベトナム戦争からほぼ半世紀。ともに戦った4人の黒人退役軍人が、現地で戦死した隊長の亡骸と埋められた金塊を回収するために戦場へと再び戻る。※ネットフリックスで独占配信中


下記のSmithsonian Magazine記事も参考にどうぞ(英語)


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