「リネン」と経済史
夏の季節にアサは快適である。サラッとした着心地や通気性は、ほてった皮膚の熱さを和らげ、汗の湿気を逃がしてくれる。日本に住むわたしたちは、昔から季節に合わせて身につける衣服や生活で使う布をうまく使い分けてきた。
今わたしたちが「アサ」というとき、亜麻を原料とするものを指すことが多い。同じものを指して「リネン」と呼ぶこともある。「リネン」には「アサ」とは違ってなにやらおしゃれな意味合いが付与されているようにも感じる。
アサは幾つかの種類に分けることができる。亜麻だけでなく、苧麻(チョマ)や大麻もアサの種類である。苧麻はからむしともいうが、越後上布や宮古上布など高級な織物生産に用いられていることでよく知られている。年配の方はこちらのアサの方が馴染み深いかもしれない。大麻は繊維というよりも違法薬物のイメージが強いが、元来日本語のアサは大麻を指していた。
リネンに戻ろう。この言葉がアサ製もしくはもっと厳密には亜麻製のものを指すことをわたしたちは知っている。しかしその一方で、原料が何であるかについてほとんど考えることなく「リネン」という言葉を使うときもある。ベッドに敷くシーツを「ベッド・リネン」、食卓で使う布を「テーブル・リネン」と呼ぶとき、亜麻という原料からできているかを考えることはほとんどない。その多くは実は綿製であり、それをわたしたちは「リネン」と呼んでいる。すなわち、辞書の定義とは異なる意味でわたしたちは「リネン」という言葉を使っているのである。「リネン」に限ったことではない。どんな言葉も辞書の定義から外れる意味をいろいろ持っている。時と場所が変われば意味も異なる。おもしろい!
この興味がわたしの経済史研究の根本にある。経済史とは、現在の経済社会が歴史的にどのように形成されてきたかというところを考える学問なのであるが、その大きな問題を突き詰めていくと、わたしの場合「リネン」という言葉に行き着くというわけである。
18世紀後半にはじまったイギリス産業革命は綿業からはじまった。技術革新が次々起こり効率的な生産によって綿製品を安価にそして大量につくることができるようになったということはよく知られている。しかしその背景にアジアへの憧れが動機として存在していたことはそれほど知られていない。
羊毛大国イギリスに綿が入ってきたことは衝撃であった。産業革命前、大半の衣類は羊毛でできていたし、直接肌に着用するものは亜麻製のものもあったが、亜麻の自給はできずヨーロッパのほかの地域から入手していた。当時の衣服の色は染められても地味な一色染めであった。そんなイギリスに東インド会社が持ち帰ったカラフルな色柄の軽くて薄いインド製綿布(キャラコ)はブームを引き起こした。
当時の関税率表には、インド製キャラコは「リネン」の項目に分類されている。綿布なのに亜麻製品を意味する「リネン」の一種にカウントされているのである。このことはそれまでイギリスには綿繊維でつくられた織物がほとんど存在していなかったことを示している。イギリスにとって新しいモノである綿布はひとまず従来からある「リネン」の項目に入れられたが、その根拠は両者の類似性、共通性にあった。その後、亜麻織物や亜麻と綿の混織物でインド製キャラコの模倣品が製造されるようになった。もちろん質は本物には及ばなかったが、産業革命前のイギリスでは、異なる繊維である亜麻に頼ってインド製キャラコと似通った商品が生み出され、それは消費者によってオリジナルのインド製のものと同じ用途に使われた。興味深いことに、イギリスで純綿キャラコが国産化されるようになっても、それはしばらく「リネン」に分類された。
すなわち、産業革命前、いや、産業革命がはじまってからもしばらくの間、当時のイギリスでは模倣品も含めて綿布はcottonsというよりもむしろlinens (linnens)だったのであり、その製造業はcotton manufactureというよりもむしろlinen (linnen) manufactureだったのである。これを安易に綿布とか綿業とかと表現してしまうと、その時代を見誤ることにもつながってしまう。ちなみに、cottonsは毛織物の種類を指す言葉として使われていたというのも、これまたおもしろい!
産業革命を経て、かつてアジアが生み出す憧れの商品であったものが、今度はイギリス製品として世界各地に供給されるようになった。しかしこの「世界の工場」としてのイギリスの地位は永遠ではなかった。工業化が世界各地に普及、拡大するなかで、イギリスからアメリカ、日本、中国、南・東南アジアへと「世界の工場」の拠点は移動した。繊維製品生産の重心は今再びアジアにある。「底辺への競争」の結果である。現在のグローバリゼーションの問題は歴史的視点を要請している。
イギリス産業革命はモノの生産のあり方を変えただけではなかった。人々の生活のあり方も大きく変えた。今の生活スタイルの原点はここにある。それまでは、人は基本的に太陽の動きに従って生活していた。家は仕事場も兼ね家族以外の関係者が出入りし、プライベート空間とは程遠いものであった。必要なものは基本的に自分たちでつくった。こうした生活は産業革命を経て大きく変わった。工場では時計の針に合わせて多くの労働者が働く。工場でつくられた繊維製品は家庭で衣服や室内装飾品として消費される。家は、仕事で疲れた体を癒す場所、家族団らんを楽しむ私的空間となっていく。今とあまり変わらない生活スタイルをそこに見つけることができる。
そんなに遠くない昔、子供は大人に混じって働く労働者であった、ヨーロッパよりもアジアの商業活動の方が活発であった、といったようなことを話すと、学生は驚く。子供のうちは学校で勉強し大人になったら社会に出て働くようになる、ヨーロッパが経済的な先進地域である、といった今では当たり前と思ってしまっていることは、人類の長い歴史からいえばここ最近そうなっただけなのである・・・し、もっといえば、今も、世界には幼児労働の問題は存在するし、ヨーロッパの中でも経済的な地域格差は大きい。
市場経済や資本主義は普遍のものではない。経済史はそれらが歴史的に特殊なものであるということを教えてくれる。喫緊の経済・社会問題を直接にそして迅速に扱うわけではないが、中長期的な視野でそうした問題に取り組む術を教えてくれる。わたしたちの「当たり前」や「常識」を一旦捨てる、という簡単そうだが結構難しいことをやる術である。
と、いくら強調しても、歴史研究の目的が「今」を理解することにあるなんていうことはなかなかわかってもらえないし、もしわかってもらえたとしても、そんなまわりくどいやり方につきあってくれる人はそうそういない。けれども、わたしは一経済史家として、「すぐに役に立たない」学問の意義を根気よく学生たちに伝えていこうと思っている。綿布が数百年前のイギリスで「リネン」と呼ばれていた、なんてことを考えることが、わたしたちが今をより良く生きることにつながっているんだ、ということを。
執筆者プロフィール
経済学部 経済学科 教授
経済学研究科 経済学専攻 教授
専門分野:西洋経済史
※本コラムは成城大学公式ウェブサイト・教員コラム『成城彩論』より転載しています。