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リベラルアーツ教育への期待—環境の時代への視点

1. 環境の時代の到来

 アップル社は、2020年7月に、100%の「カーボンニュートラル」を2030年までに達成すると表明し、部品メーカーにも納入部品を再生可能エネルギー比率100%により作るように求めた。「脱炭素」は、今日では、世界的命題となっている。筆者は、成城大学で環境関係の講義を担当しているが、環境の時代が到来したことを日々感じている。その一方で、「COP25」や「COP26」で地球温暖化対策に積極的でないとして「化石賞」を受賞しているのが日本の現状でもある。世界の再生可能エネルギー比率をみても、2020年の値で、ドイツ45%、イタリア43%、イギリス42%、中国27%、フランス23%、日本22%、アメリカ20%となっており、日本の比率は高くない(1)。

 2015年9月末にニューヨーク国連本部において「国連持続可能な開発サミット」が開催され、「われわれの世界を変革する—持続可能な開発のための2030アジェンダ」(いわゆるSDGs)が採択され、テレビでもほぼ連日、何らかの形でSDGsについて触れられている。しかしながら、世界的に環境の時代が来るとは、筆者が大学生の頃(1990年代)は想像していなかった。大学での環境関係の講義も少なかった記憶がある。筆者が所属している環境社会学会のHPにも、「1988および89年秋と2年間続いて日本社会学会で環境問題のテーマ・セッションが開催」とあり、環境社会学会が設立されたのは1992年である。社会学の中で、環境問題を扱う領域が環境社会学として独立したのは、比較的最近のことである。他の分野でいえば、環境経済・政策学会の設立は1995年、環境法政策学会は1997年である。環境先進国といわれるドイツでも、同様の状況であり、環境系の学科の登場は、1990年代である(保坂[2022a:179])。環境系の学会をめぐってこのような動きがあるというのは、筆者が学部生だった頃は知らなかったが、そうはいっても環境の時代の到来というのは、後に大学院に進学した頃には徐々に感じるようになっていった。

 さて筆者は、人の行動について関心があり、大学時代は「リベラルアーツ」を掲げる大学で社会学を専攻した(2)。人々が自ら指導者に従ったり、あるいは強制的に従わざるを得ないことが顕著であったことを扱うファシズム研究への関心から、「権威主義研究」「大衆社会論」といったテーマで卒業研究に取り組んだ。『権威主義的パーソナリティ』(Adorno et. al.[1950=1980])を著したことでも有名な、ファシズム批判の研究者集団である「フランクフルト学派」の存在もあり、当時の指導教授の助言も踏まえ、社会学理論を中心とした卒業研究となった。フランクフルト学派第一世代のホルクハイマーらの古典的名著でもある『啓蒙の弁証法』(Horkheimer[1947=1990])は、難解であったが、今日でも出会えて良かったと思う著書であった。

 もっとも、筆者が院生時代の2000年前後は、「なぜ今日、権威主義研究か」と問われたことが多々あった。今日に比べれば当時は比較的平和な時代であり、権威主義研究の必要性から説明しなければならない状況であった。このような時代状況については、社会学者で社会階層研究の立場から権威主義研究に注目していた吉川徹も、1994年の時点で次のように指摘している。「いまや、この概念を用いて『斬る』べき所定の宿敵はすでに猛威をふるってはおらず、かつてのように簡明な論理の下に、鮮やかに社会の病理性を『斬る』ことは不可能に近いのである」(吉川[1994:126])。筆者も、吉川の当時の時代認識に賛成する。その一方で吉川は、権威主義研究の必要性が低下してはいるものの、「20世紀の遺物として蔵入りさせてしまうのは、あまりにももったいなく思われる」(同)という問題意識のもと、アンケート調査を用いて、人々の生活が改善するにつれて重要になった環境意識やヘルス・コンシャスについて、権威主義の観点から考察を加えた。前述ように、環境の時代を筆者は感じていたこともあり、また『啓蒙の弁証法』が人間による自然支配を告発していたことにも注目し、フランクフルト学派研究の立場から、権威主義と環境意識の関係について分析を掘り下げることにした。

 分析を進めるにつれて、ナチス時代にあっては、「動物の保護に関する法律」(1933年)、「国家狩猟法」(1934年)など各種環境保護法が制定されるなどの例にみられるように、環境意識が高かったということが明らかになった。日本でも、海外の研究者の文献が翻訳され、ナチス時代の環境意識が高いことが紹介されるようになったが、文献でいわれていることの詳細について、フィールドワークを交えて確かめる必要性を感じた。権威主義的な時代の環境意識とはどのようなものだろうか。このため筆者は、2004年から訪独してインタビュー調査を実施した。ナチスの環境思想を研究しているプロテスタントの牧師であるツィンク博士(1922年生)は、筆者とのインタビューの中で、次のように語る。

ナチズムにおいても環境運動はありました。ナチズムでは、農民や農業の地位が非常に高かったので、環境はポピュラーな要素の一つでした。ナチズムのイデオロギーのもとになるのは、血、そして大地でしたので、環境もそこに入っています。ある土地に対する権利は、そこの土地で育った人にしかないので、人種学が発達したようです。ユダヤ人は外にいます。1933年、私が少年時代の頃、少年たちはみな、私も含めて環境を大事にしましょう、そして環境とともに生きましょうということを教えられました。(保坂[2013:45])

ツィンク博士によれば、「血と土」という言葉は、ナチスが農民の支持を獲得するためにもち出したイデオロギーでもあり、人種差別にもつながっていたというのである。ナチス時代に、人種差別を伴う一種の保守的な環境意識が存在することが、インタビュー調査で裏付けられた。

2. 今日におけるドイツ環境運動の理念としての「価値的保守」

 ナチス時代の環境意識を分析している過程で、「環境」と「保守」という視点がクローズアップされた。しかしながら日本で環境運動といえば、革新的な位置づけをされてきた。たとえば、戦後ドイツの環境運動を先導してきた緑の党は、日本では革新政党として理解されている(保坂[2022a:54])。ドイツの環境運動を検討する過程で、筆者は、ドイツ第3の州であるバーデン・ヴュルテンベルク州——ベンツやポルシェの本社がある——が「保守の牙城」であり、緑の党が同州にあっては穏健という特色があるという紹介(遠藤[1983]・仲井[1986])に興味を持った。革新政党とされる緑の党にあって、穏健な特色とは具体的にはどのようなものなのだろうか。そして「保守の牙城」とされる同州で緑の党が成功している理由は何なのだろうか。「保守的な地域」と「緑の党」という一見矛盾する存在を理解するため、筆者はドイツでインタビュー調査を実施した。調査の結果、「価値的保守」(Wertkonservative)という考え方があることを見出した。

 この「価値的保守」を唱えていることで有名なのは、バーデン・ヴュルテンベルク州緑の党のクレッチマン氏である。同州緑の党は、従来万年野党であったが、2011年3月の州議会選挙で第一党となり、クレッチマン氏が、ドイツではじめて緑の党から州首相に選出された(同年5月)。「価値的保守」といった考え方は保守層からも支持を受け、2016年と2021年の選挙でも勝利し、同氏は州首相を3期にわたり続投している。同州緑の党は、3期にわたり第一党、政権与党、州首相の輩出といった輝かしい実績を成し遂げている。「価値的保守」は、バーデン・ヴュルテンベルク州の現在を代表する理念といえる。

 「価値的保守」は、簡潔にいえば、建物、故郷、公園といったものの中で、古い価値をもつものを敬い、保存していきたいという考え方である(保坂[2022a:78])。単に過去の価値観に頑迷に固執するのではなく、古いものを今日に即した形で残していくといった側面もある。価値的保守は、価値あるものを後々の世代に伝えていこうという意味で持続可能という意味が含まれてもいるという。環境運動といえば革新的とされがちであるが、今日の保守層の中にも環境保護の考えがあるのである。もっとも、今日の緑の党は、ナチス時代の反省を踏まえ、人種差別批判の立場であり、今日の「価値的保守」は、かつての権威主義的な環境意識と異なる。

 さて、再生可能エネルギーがクローズアップされる時代にもなったことから、緑の党研究の中で見出された「価値的保守」という考え方が、ドイツの「バイオエネルギー村への道」プロジェクトにも貢献しているのではないかという着想を筆者は得た。バイオエネルギー村も、保守的な農村地域であるのにも拘わらず、再生可能エネルギー導入という革新的な試みをしていると位置づけることもでき、緑の党で得られた「価値的保守」といった視点が有効であると考えられたからである。ドイツのバイオエネルギー村の先駆けは、ニーダーザクセン州ユーンデ村(Jühnde)が2005年、次いでバーデン・ヴュルテンベルク州フライブルク行政管区のイメディンゲン村(Immendingen)マウエンハイム地区(Mauenheim)が2006年とされている。2021年現在、バイオエネルギー村の数は170ある。筆者は、バイオエネルギーでも多くの人にインタビューをしたが、「価値的保守」といった文化的理念が、事業推進に貢献していることを見出した(3)。具体的にいえば、価値的保守の「循環する自然」といった考え方は「循環しない原子力」という視点から再生可能エネルギー重視につながり、「バイオエネルギーへの道」プロジェクトに参加する動機の一つとなるという(保坂[2022a])。「価値的保守」といった理念は、農村部における再生可能エネルギー事業という環境先進国ドイツの今を理解するにあたって意義がある。そしてこの「バイオエネルギー村への道」プロジェクトが、地域にあるバイオマスなどの潜在的資源を活用し再生可能エネルギー比率を高めていくことで、「地方自治体や地域における雇用機会と購買力の上昇」(4)といった「価値創造」を目指していることは、筆者の研究が、単に地域住民の理念研究に終始するのではなく、地域的イノベーションの最新の姿を把握することにもつながっている。

3. 現代社会を理解するために

 前述したように、筆者は成城大学で環境関係の講義を担当しているが、これまでの研究を振り返ると、学部時代の勉強が役に立っていると思う。「役に立つ」といっても、学部当時の卒業研究が社会学理論研究に立脚していたことを踏まえれば、即効性のある有用性では必ずしもない。理論研究は、『啓蒙の弁証法』といったような難解な著書にふれることにより、古典に挑むという姿勢を身につけることができたり、抽象度の高い文章にも慣れ親しむきっかけとなったように思う。またホルクハイマーらの問題意識を読むことで、筆者が高校時代には抱いていた問題意識が的外れではないことも確認できた。特に「権威主義研究」に関していえば、前述のように2000年前後では、その意義が乏しいとされるような時期もあったが、権威主義研究は保守—革新といった分析視点を獲得することにつながったり、環境意識の分析にも意義があった。今日では、新型コロナウイルス感染症における偏見や差別の分析にも意義がある。たとえば、「新型コロナウイルス感染症患者を出す会社は、従業員の管理がなっていない」「地域の病院が新型コロナウイルス患者を受け入れると、地域に感染が広がる可能性があるので、受け入れることはやめて欲しい」といったすでに差別の事例として報道されているような意見は、筆者による学生意識調査を用いた分析の結果、権威主義によって促進されることが見出されている(保坂[2022b])(5)。このような差別に対しては、法的な措置も場合によっては求められるだろうが、法的措置の前段階として必要な差別をなくす啓発活動にあたって、差別や偏見の現状分析、形成要因の検討が重要であり、権威主義はさまざまな知見を与えてくれる。

 最近では、「民主主義」対「専制主義」といったような対立軸もクローズアップされている。実際、民主政治の劣化、さらには同盟関係の変容などを指摘している『権威主義の誘惑—民主政治の黄昏』(Applebaum[2020=2021])といった著書も刊行されている。

 権威主義研究をはじめとする社会科学の発想は、今日多くの示唆をもたらしてくれる。社会学のみならず、歴史学、哲学、心理学といった領域にもまたがっている権威主義研究は、「教養」を幅広く身につけ総合的な人間力養うという「リベラルアーツ」を学ぶ際に貢献しうる一例であるように筆者には思われる。ファシズムという人類史に残る問題を考察している古典を学ぶことは、有用性を直近では感じないかもしれないが、社会現象を理解するにあたって、重要な分析視点を提供してくれる。筆者の例で具体的にいえば、権威主義研究は近年の「民主主義」対「専制主義」、コロナ禍の差別や偏見といった社会問題を分析する際の切り口になっている。環境問題の分析にあたっても、弱者-強者、ナチスの環境思想、戦後ドイツの環境政策と戦前の環境意識との関連といった分析視点の獲得についてはもちろんのこと、「価値的保守」といった現代のドイツ環境思想を把握するに至ったインタビュー調査の一契機となった。

 いずれにせよ、自身が抱いている社会への疑問を理解するにあたって、古典はさまざまな分析視点を提供してくれる。教養を幅広く身につけることは、社会のさまざまな場面で求められる判断の手がかりを与えてくれると筆者は考えたい。

*『成城教育』第194号(2022年3月31日発行)に掲載された文章を一部修正して掲載しています。

(1) 経済産業省HP「再生可能エネルギー大量導入・次世代電力ネットワーク小委員会」資料4(https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/saisei_kano/pdf/029_04_00.pdf)最終閲覧2022年1月18日。
(2)「リベラルアーツ」の定義についてはさまざまあるが、紙幅の都合上、本稿では「『教養』を幅広く身につけ総合的な人間力養う」といった点に焦点を絞っている。
(3) バイオエネルギー村におけるインタビュー調査は、2015年から実施し、2019年までの5年間で28村、のべ93人に対して実施した。2004年から実施しているドイツ緑の党関係者までを合計するとのべ250名を超えるドイツ人関係者にインタビュー調査をした。
(4) 再生可能資源エイジェンシー[FNR: Fachagentur Nachwachsende Rohstoffe e.V.](https://bioenergiedorf.fnr.de/)最終閲覧2022年1月18日。
(5) たとえば、兵庫県尼崎市の「長尾クリニック」は、「地域住民には不安視する人もおり、通行人から『あんたのせいで感染が広がったら、どうしてくれるんや』と暴言を吐かれたことも」(読売新聞2021年4月19日)あるという。また、「県単位で最後まで『感染者ゼロ』が続いた岩手県では7月末、初感染者の勤務先に『行動が軽率』『会社の管理がなっていない』といった電話やメールが2日間で100件以上寄せられた」(東京新聞2020年10月25日)という。

参考⽂献
・Adorno, T. W., E. Frenkel-Brunswik and D. J. Levinson et al., 1950, The Authoritarian Personality, Harper and Brothers. =1980、『権威主義的パーソナリティ』田中義久他訳、青木書店
・Applebaum, A., 2020、Twilight of Democracy: The Seductive Lure of Authoritarianism, Doubleday. =2021、『権威主義の誘惑—民主政治の黄昏』三浦元博訳、白水社
・遠藤マリヤ『ブロックを超える』亜紀書房、1983
・Horkheimer, M., Adorno, T., 1947, Dialektik der Aufklärung, Querido Verlag( Gesammelte Schriften, Bd.5(1987), Schmidt, A., Schmid Noerr, G.(Hrsg.), Fisher Verlag.)=1990、『啓蒙の弁証法』徳永恂訳、岩波書店
・保坂稔
『現代社会と権威主義—フランクフルト学派権威論の再構成』東信堂、2003
「ナチス環境思想のインパクト—ドイツ環境運動と緑の党」『長崎大学総合環境研究』10(2)、15—23、2008
『緑の党政権の誕生—保守的な地域における環境運動の展開』晃洋書房、2013
『再生可能エネルギーを活用したドイツの地方創生とその理念—バイオエネルギー村における「価値創造」』新泉社、2022a
「新型コロナウイルス感染症と偏見に関する研究—権威主義の観点から」『成城大学社会イノベーション研究』17(2)、137-147、2022b
・吉川徹「現代社会における権威主義的態度尺度の有用性—環境保護意識、ヘルス・コンシャスの分析視角として」『ソシオロジ』39(2)、社会学研究会、125-137、1994
・仲井斌『緑の党—その実験と展望』岩波書店、1986

執筆者プロフィール
保坂 稔 | Minoru Hosaka
社会イノベーション学部 心理社会学科 教授
社会イノベーション研究科 教授
専門分野:社会学

※この文章は成城大学ウェブサイトより転載しています。

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