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「私たちの心が実現できると知っているもっと美しい世界」 分離 (第1章)

本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。

 時折、自分が若かった頃の文化の神話が懐かしくなります。その世界では炭酸飲料には何も問題がないとされ、スーパーボウルが重大事で、アメリカは民主主義を世界にもたらしていて、その世界の中で医者は私たちを治し、科学は生活を日々良くしていました。そして、その世界は人類を月にも立たせたのです。


 人生には筋が通っていました。勤勉に学べば良い成績が取れ、良い大学に入ることが出来て、大学院に進んだり、他のキャリアの道を選びとることで、幸せになることが出来ました。いくつかの不運な例外を除けば、社会のルールに従っていれば成功することが出来たのです。最新の医療アドバイスに従い、 NYタイムズを読み、良き教育を受け、法に従い、賢明な投資をし、薬物などの「悪いもの」に近づかなければでしたが。もちろん問題は色々とありましたが、科学者や専門家たちが懸命に働きそれらを直していました。まもなく、新たな医療の発達、新しい法律、新たな教育方法が、人生の止むことのない改善を推進するはずでした。私が幼年期に感じていたのは、私が「人民の物語」と呼ぶ話の一部でした。その物語の中で、人類は科学、理性やテクノロジーを通じて完璧な世界を創造することが運命付けられていました。自然を征服し、私たちの動物的な起源を超越し、合理的な社会を建設するはずでした。 


 私の目から見れば、この物語の基本的な前提は揺るがないようでした。私が受けた教育、メディア、そして、私の周りのほとんどの日常のルーティーンも共謀して、「全ては大丈夫だ。」と言っているようでした。今日においては、それがとてつもない人間の苦しみと環境の悪化を基礎にして築きあげられたバブル世界だということが日に日に明らかになっています。しかし、当時は自己欺瞞に陥ることなくバブルの中で生きることが出来たのです。そのストーリーは強固でした。異常な情報を簡単に隅に追いやることが出来たのです。


 それにも関わらず、私(と他の多くの人)は世界の違和感を感じ、その違和感は優遇され隔離された私の子供時代の裂け目から私に少しずつ染み込んでいったのです。私は普通だとして手渡されたものを完全に受け入れることは遂には出来ませんでした。人生はもっと喜びに満ち溢れ、より真実に満ちて意味があり、世界はもっと美しいはずだとどこかで分かっていたのです。月曜日を嫌い、週末や祝日のためだけに生きるべきではないと。トイレに行くために手を挙げて許可を求めたり、美しい日なのに、来る日も来る日も室内に閉じ込められるべきではないと分かっていたのです。


 そして、私の視野がより広がった時にも、何百万人もの人が飢餓に苦しむべきではなく、私たちの頭上を核兵器が通過するべきではなく、熱帯雨林が縮小するべきではなく、魚が死に、コンドルや鷹や消えるべきではないと分かっていたのです。私の文化の最も力を持った物語がこれらの問題を扱うやり方を受け入れることは出来ませんでした。これらの問題は断片的な問題として扱われ、人生における不幸な事実として後悔され、語られるべきではないタブーとして単に無視されたのです。


 どこかのレベルでは私たちはよく分かっているのです。この知はめったに明瞭に表現されることはありません。ですから代わりに、私たちはそれをこっそりとした、またはあからさまな反抗を通じて間接的に表現しているのです。中毒、セルフサボタージュ、ぐずぐずしての先延ばし、怠惰、憎悪、慢性的疲労と鬱の全ては、手渡されている人生のカリキュラムに私たちが全参加しないための術なのです。私たちの意識レベルのマインドがノーと言える理由を見つけられない時に、無意識は独自のやり方でノーと言うのです。私たちの多くが「オールドノーマル」に留まることに耐え難くなっているのです。


 このノーマルの物語はシステムのレベルにおいても崩れはじめています。私たちは今、二つの世界の移行期の瞬間に生きています。何世紀も私たちを支えてきた制度は持続力を失いました。高まる自己欺瞞によってのみ、それらがまだ持続していると偽ることができるのです。私たちの貨幣、政治、エネルギー、医療、教育などのシステムはかつて私たちに施した恩恵を届けることが出来なくなっています。1世紀前に人に勇気を与えたユートピアへの約束は毎年遠ざかっています。何百万人ものますます多くの人が、そうではない振りをするのを億劫にしています。しかし、私たちはどのように変えて行けばいいのかわからず、急いで崖から落ちようとしている工業文明にどのように参加しないようにすればいいのか分からないのです。


 以前の著作で私はこのプロセスを捉えなおすことを試みました。人間文化の進化を成長の物語と見なし、それに続くのは危機、破綻、再生だと捉えたのです。「分離の時代」の後に新しい種類の文明「再会の時代」が勃興するとして。おそらく深遠な変化は崩壊を通じてのみ起こるのでしょう。紛れもなく、個人のレベルでは多くの人にとってそれが真実でしょう。頭では自分のライフスタイルが持続的ではなく、やり方を変えなければならないと知っているかもしれません。「そう、そう。喫煙をやめないといけないのは分かっているのだけれどね。運動も始めないと。クレジットでの購入も控えないと。」


 しかし、警鐘、いやむしろ、一連の警鐘なしにどれだけの人たちが変われているでしょうか?結局のところ、私たちの習慣は私たちの人生の隅々まで行き渡る私たちの在り方の中に根付いているからです。故に、「全てのことを変えなければ、一つのことを変えられない。」ということわざなのです。


 集合的なレベルにおいてもそれは同様です。全てのシステムが密接に交わりあっていることに目覚めた時、例えば、私たちはそれを支える経済システムを変えることなく、エネルギーテクノロジーを変えることは出来ないのです。私たちは同様に、全ての外側の制度が、私たちの世界の基礎認識、見えざるイデオロギーや信念体系を映し出されているものだということを分かっています。その意味でエコロジーの危機は、他の危機と同様に、精神性の危機だとも言えるのです。つまり、最深部までにまで及ぶ人類の全ての側面を含んだ危機なのです。


 最深部とは一体何なのでしょうか?「二つの世界の移行期」とはどういう意味なのでしょうか?私たちの文明の最深部には物語、神話が横たわっています。私はそれを「世界の物語」とか「人民の物語」と呼びます。それはナラティブ、諸々の取り決め、人生からの根源的な質問に私たちの文化がもたらした以下の答えから構成される象徴的システムで構成されるマトリックス(基盤)なのです。

・私は誰なのか?
・なぜ物事が起こるのか?
・人生の目的は何なのか?
・人間の本質とは何なのか?
・聖なるものとは何なのか?
・民族として私たちは何者なのか?
・私たちは誰なのか?私たちはどこに向かっているのか?


 私たちの文化はこれらの質問に大体次のように答えます。「人民の物語」がその絶頂に達した前世紀においてもそれが世の中全体を覆うことはありませんでしたが、それらの答えの純潔な表現を紹介したいと思います。それらの答えが科学的に時代遅れだということに気がつくかもしれません。ですが、その19世紀、20世紀の廃れた科学が今も何が真実で、可能で、実用的かについての物の見方を生み出しているのです。新しい物理学、新しい生物学、新しい心理学は動作中の信念の中にようやく少しだけ潜入しはじめたところです。以下がそれらの古い答えです。


 私たちは誰なのか?あなたは、他の独立した人たちの中にいる独立した個人で、さらにあなたから分離している宇宙の中にいます。あなたは肉体を持ったロボットの目を通して外側を見るデカルト的な塵の意識であり、私欲を最大化することを促す複製可能な遺伝子によってプログラムされています。あなたは心理状態や(それが脳に基づいているか基づいていないかに関わらず)マインドから成る幻想であり、他人のマインドや物質から独立しています。もしくは、あなたの魂は肉体の中に閉じ込められ、世界や他人の魂から分離しています。もしくは、あなたは人間味に欠ける物理法則の力によって動いている粒子の組織、塊なのです。 


 なぜ物事は起こるのか?上記のように、人間味に欠ける物理法則の力が基礎的な粒子の包括的な物質基板に作用しています。全ての現象は数学的に決定づけられた相互作用の結果なのです。知性、秩序、目的、設計図は幻想に過ぎません。それらの下には単に力と質量の無意味な寄せ集めがあるだけなのです。いかなる現象も、全ての動きも、生命も、力の総量が対象に作用している結果に過ぎないのです。


 人生の目的は何なのか?目的はありません。原因があるだけです。宇宙は根本的には盲目的で生きていないのです。思考とは電気化学的刺激で、愛とは私たちの脳を配列し直すホルモンのカスケードなのです。(私たちが私たち自身を造り上げる以外に)人生の唯一の目的は、ただ生きることなのです。生存して、繁殖し、合理的な自分のための利益を最大化することなのです。自分ではない全てのことは、よく言っても私たちの幸福には無関係で、悪く言えば好ましくないことなのです。


 人間の本質とは何か?それは競争し合っている人間と人間的な温かみのない力によって構成されている非友好的な宇宙から自分を保護することであり、可能な限りそれをコントロールすることなのです。私たちはその目標を前進させるものを追い求めます。例えば、お金、ステータス、安全、情報、そして、パワー。つまり、私たちが「世俗的」と呼ぶものです。私たちの本質の土台部分には、悪の源としか呼ぶことが出来ない私たちの動機や欲望が在るのです。それらこそが私欲を冷酷なまでに最大化しようとする元凶なのです。


 ならば、聖なるものとは何なのか?やみくもに、冷酷に私欲を追い求めることは反社会的なので、生物学的な洗脳をを乗り越え、「高きもの」を追い求めることが重要になります。聖人は肉体からの欲望に堕ちることはないのです。その人は滅私・自制心の道を選び、スピリットへの領域へと上昇するのです。現世的な旅においては、合理性、マインド、原則や倫理の領域へと昇っていくのです。宗教的な人にとって、聖なるものになるということは現世を超越することなのです。魂は身体から独立していて、神は地球の遥か高くに住んでおられるのです。表面的には反目しあっていても、科学と宗教は聖なるものはこの世のものではないという点で同意しているのです。


 民族として私たちは何者なのか?私たちは特別な動物の種であり、進化の最高到達点であり、文化的、そして、遺伝的情報を伝達することが出来る脳の持ち主になります。(宗教的には)魂を持っている点と(科学的には)合理的なマインドを持っていることが私たちを特別にします。この機械的な宇宙では、私たちだけが意識を持ち、私たちの設計図に基づいて世界を形作る手段を持ち合わせています。私たちのそういった能力の唯一の制限は、私たちが利用できるエネルギーの量とそれを用いる時の正確性だけです。正確性と共にエネルギーを使えば使うほど、私たちはこの無関心で非友好的な宇宙で上手くやれていて、より心地よさと安心を感じることが出来ています。


 私たちは誰なのか?私たちはどこへ向かっているのか?私たちは裸で無知な動物として始まり、なんとか生き延びて、厳しくて野蛮な短い人生を生きてきました。幸運なことに、大きな脳のおかげで、科学が迷信に取って代わり、テクノロジーが儀式の後任となりました。私たちは自然の主人や所有者へと昇りつめ、植物や動物を家畜化しました。自然のエネルギーを利用し、病気を制圧し、宇宙の最も深淵な秘密を露わにしました。私たちの運命はこの征服の旅を完遂させることなのです。労働、病気、死そのものから自分たちを解き放ち、星々のところまで上昇し、自然を置き去りにするのです。


 この本の中で、この世界観を私は「分離の物語」とか「古い物語」と呼びます。時には、その派生物としての「上昇の物語」「コントロールプログラム」などにも言及します。


 これらの質問の答えは文化によって異なりますが、それらは私たちをほとんど完全に浸しており、私たちはそれらが現実そのものだと見なしています。これらの答えは、それらの表面に存在する全てと共に、今日でも変化しています。それはつまり、基本的に私たちの文明全体を指します。だから時々、私たちは世界全体が崩れ落ちるような目眩の感覚に襲われるのです。かつてリアルで実用的で強固だったことの空虚さが見えるにつれて、私たちは奈落の底に立っているかのようです。次に何が来るのか?私は誰なのか?何が重要なのか?私の人生の目的は何なのか?癒しをもたらす効果的な媒介にどうやったらなれるのか? かつてそれらに上手く答えることが出来た「人民の物語」が崩壊するにつれて、それらの古い答えは色褪せていっているのです。


 この本は、古い物語から始まり、物語と物語の間の空っぽの空間を通り抜け、新しい物語へと入っていくためのガイドブックです。読者をこの移行の主人公、他の人々、社会、惑星のために移行を促すエージェントとして捉えています。


 危機が全体に及ぶように、私たちが直面するその移行も深部にまで至ります。内面的には、どのように生きているかを変容させることに他なりません。外面的には、地球という惑星上で人類の役割を変容させることだとしか言いようがありません。


 私はこの移行を完了した者としてこの本を書いたわけではありません。私にこの本を書く権威が誰よりもあるというわけではないのです。私は救世主でもなければ、聖人でもありません。悟りを果たした達人たちや宇宙人の霊媒者を務めているわけでもありません。私が普通ではない霊能力やとてつもない知性の持ち主ということでもないのです。並外れた苦難や試練を乗り越えてもいないですし、特別深いスピリチュアルな実践やシャーマンになるためのトレーニングを受けているわけでもありません。普通の男性です。だから、自分の客観的な判断によって、私の言葉を受け取っていただきたいのです。


 もし私の言葉の意図がその役割を果たし、大小に関わらず「私たちの心が実現できると知っているもっと美しい世界」へと向かう次のステップを促した時に、私のありきたりの普通さは大きな意義を持つのです。それは、私たち普通の人間が、意識と在り方の深遠な変容にいかに近いかを示すことになるでしょう。普通の男性の私にその世界が見えるのならば、私たちは皆そこにもうたどり着きそうに違いないのです。

< 本書の紹介・目次                第2章 崩壊 >


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