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再生の前に先立つ死

このマックス・リヒターの新曲 Music Video「動き、すべての花に先立つ」を観ると、そこには鬱々とした様子の若い女性の姿。音楽を聴きながら、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの本を読み、日記にペンを走らせていく。そして、最後に微笑の兆しのようにも見える表情が映し出されている。

おそらく、ここでの「動き」とは、家父長制が得意としない、主に内面へと向かう下降の動きのこと。

人間の一生で大きな「死」の訪れは一度だけれども、小さな「死」からの招きは何度も訪れる。それは「悲しみや鬱、グリーフ、絶望」として顕れたりする。

夢分析の大家として知られたジェレミー・テイラーは確か、人間が変容していくために最も必要なことは、「身体を傷つけることなく死ぬこと」みたいなことを言っていたと思う。

移ろいゆくことを受け入れている世界観においては、「死」を伴う夢は、「再生」の前兆となる希望の知らせとなる。

下降へのサポートや理解が欠落している社会の中で、下降の中に入り込んでしまうのは非常に辛い。自然の摂理として、下降には元々痛みが伴うと思うのだけれど、サポートや理解のなさがその苦しみを何倍にもする。

何かが自然と終わろうとしているサインとして落ち込みが起きていても、抗うつ剤など、上昇の道へと戻そうとする何かが”処方”されたりする。

今までの社会で生き抜くためには、ときにその”処方”が必要なこともあったであろうが、それは人生の中で本来は何度もめぐってくるはずの「死と再生」のサイクルをとめることにもつながる。

ここで本当に必要なサポートとは、共に泣いたり悼むことかもしれないし、そっと独りでいさせてあげることかもしれないし、その人が再生を遂げられることを信じる気持ちなのかもしれない。

文明自体が崩壊・死、そしてそれに続くはずの再生へと招かれている移行の時代。その成否は、どれだけ多くの人たちが抗わずに、その下降の動きに身を委ね、生まれ変わりを迎えられるかどうかにきっとかかっている。

暗い地中の中で、下へ下へと伸ばされる根っこのような動き。

その先立つ動きが、造花ではない、本物の花を咲かせることになる。

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