見出し画像

新世界/聴覚過敏と耳栓の邂逅

 幼少期に中耳炎や内耳炎を繰り返した結果、幾らか耳の聞こえが悪い私は、さらに突発性難聴を両側2回ずつ経験し、蝸牛型メニエール病の可能性も指摘されています。聴力が人より悪いにも関わらず、悩ましい問題がひとつ。

 意外…っ!それは聴覚過敏…っ!

 自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder: ASD)に付随する特性のひとつに「感覚過敏」がありますが、その一部として聴覚過敏を伴うこともあります。
 明確な医学用語としての定義のない曖昧な表現ですが、端的には「ふつう気にならない日常の音が、ひどく気になって生活に支障をきたす状態」といえましょう。

 例えば換気扇の音、時計の秒針、雑踏、人の会話。あらゆる音が暴力的に脳内に響き、混乱を誘います。おそらく本来は脳が自動的に処理して「聞こえにくく」あるいは「気にならなく」なるはずの「雑音」を、そのまま聴いてしまうのだと思います。些細な音でもそうですから、子どもの泣き声など大変なことです。
 私の場合、処理できない音が続くと、耳鳴りや頭痛に至ります。

 高校生から大学生の頃、一人で外出するときは必ずイヤホンをつけて音楽を聴いていました。外の音をシャットアウトした環境で聴こえる自分の好みの音楽なら不快になりにくいからです。イヤホンは私を護る壁でした。ところがそれでは人と会話する必要があるときに困ります。


 最近は高性能な耳栓があるらしいと友人が教えてくれました。高級品ですが、興味があります。しかし耳栓をするのは、それはそれで耳の違和感が気になりそうだと、しばらく悩んでいました。
 転機は先日入院中のことでした。MRI検査の際につけた医療用の耳栓。付け心地もそれ程気にならないし、周囲の音がマイルドに聞こえます。ひょっとして可能性あるんじゃないかと、そんな思いが心をよぎります。

 思い切って購入した「耳栓」との邂逅は素晴らしいものでした。

 全く聞こえなくなるわけではありませんが、たとえば換気扇の音が消えます。あらゆる雑音が気にならなくなる程度に抑えられます。それでいて、必要な会話は十分聞こえます。丁度良い。

 子どもの泣き声も、
 ギリギリ耐えられる…!!

 世界が変わったといえましょう。

 そのことを妻に伝えたら、今までそんな些細な音が気になっていたのかと驚かれました。気にならないときもある、集中していると周りの音が全部聞こえなくなる、と柔らかく反論したところ、「それは過集中でしょう?」と諭されました。

 これまた特性です。ああASD。

 発達障害に理解のある伴侶に出逢えて良かったと心底思います。まったく定型な彼女が私を理解するのは、とても大変なことだろうと推測します。ふつうの人がふつうに行うコミュニケーションというものが、素の私にはどうにもうまくいきませんでした。それで心理学を勉強したのが小学生から中学生の頃のこと。
 対面した人との会話は相当気を使いますから、私にとって「できるとできないの間」なのだと思います。文字でのやりとりにすると随分マシになりますが、中には違和感を覚える方もおられるかもしれません。発達障害はグレースケールで、どこまでが定型でどこからが非定型なのか、線引きは極めて困難です。

 もしも叶うなら色々な人のいる社会に私も混ざっていたいと、そういう淡い願いが、私にとっての「note」です。


 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、「障害」という言葉がひとつの特性や個性として明るく語ることが許されて、人それぞれの得手不得手を活かしながら助け合う社会が、いつか実現しますように。



#4月2日は #自閉症啓発デー
#聴覚過敏と自覚したのはこの数年の出来事で #皆同じように音が気になるものだと思っていた #耳栓を日常に取り入れたとき #それは #思い込みが変わったこと
#ASDのカミングアウト #やってみた
#できるとできないの間にできるけど疲れるがたくさんあります
#疲れるけどできると捉えて #頑張りたいときもあります
#自分の内面を書くときは不安に押しつぶされそうになります
#眠れない夜に

ご支援いただいたものは全て人の幸せに還元いたします。